「ペットボトルが開けられない」は危険なサイン? 人気家庭教師を襲った難病ギラン・バレー症候群 授業もドタキャン 発症からICUに入るまでのリアルな症状と経過

俳優・家庭教師 小堀正博さんのギラン・バレー症候群闘病記 ~前編~ (3/4) 1ページ目に戻る

俳優・家庭教師:小堀 正博

わずか半日で呼吸困難に! ナースコールも押せず「記憶があいまい」な夜

救急車で運び込まれた病院では、コロナとインフルエンザの検査をして陰性。感染症の高熱からくる筋力の脱力ではないか、という診断を受けました。

「病院側から特に入院の話は出なかったのですが、僕から『心配なので今日は泊まらせてほしい』とお願いしたんです。その時点では、点滴を打って症状が改善したら、明日にはすっかりよくなって帰れるだろう、と考えていた。

でも、夜が更けるにつれて徐々に悪化していったんです」
(小堀さん)

夜の22時には、「何かあったら」とベッドの脇に置かれていたナースコールも押せないほどでした。

「病室の外を通りかかった看護師に、必死の思いで暴れて不調を訴えて、ようやく気がついてもらえて。そこからの記憶があいまいなんです。

朝方には自発的に呼吸をすることもままならなくなり、集中治療室に移動することに。移動直前の午前11時前には母親に電話してるんですが、僕は覚えていない。次の記憶は、集中治療室で口から肺まで気管挿管されて、管に繫がれた状態。

目が覚めて、自分の身に何が起きているのか全くわからなかったですね」
(小堀さん)

入院中の身体が動かせないときの小堀さん。  写真提供:小堀正博
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体は動かず、声も出ない… クリアな思考の中で襲ってきた「死の恐怖」

その日から約4ヵ月もの間、入院生活を送ることになった小堀さん。介護職に就かれている小堀さんのお母さんが、倒れたその日から病床の記録を事細かに記録していました。

当時のカレンダーにはびっしりと、その日の小堀さんの様子や病状の変化、リハビリの経過がお母さんによって綴られています。

「ギラン・バレー症候群かどうかは髄液検査を行うのですが、その結果が出るまでに時間がかかる。僕の場合は、主治医の的確な判断で、ギラン・バレー症候群“疑い”として倒れた翌日から治療を始めました。

ギラン・バレーは、とてもわかりづらい病気で、脳梗塞などと間違われる場合もあるので、脳神経内科のある総合病院に連れていってもらえてよかった、と心から思っています」
(小堀さん)

とは言え、ICUに入ってからの最初の1週間は、死を意識するほど壮絶な時間でした。

「記録によると、『ここにいたら死ぬから転院したい』と家族に伝えています。挿管されているんですが、痰がずっと出てきていて、苦しくって溺れ死にしそうになるんです。

だから『こんなに苦しいのは絶対に管を入れる場所を間違えているからだ。医療ミスだから知り合いの弁護士を呼んでほしい』と言っていたみたいで。

すべてに疑心暗鬼というか、もう何も信じられない状況で、本当にきつかったですね」
(小堀さん)

意識はあるし、思考もクリア。でも、身体が動かない。声も、もちろん出せません。

微細な目と首の動きを使って、文字盤で1文字ずつ文字を追い、必死に家族に意思を伝えていたと言います。

好きなことをいくつも続けてきてよかった

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