〔竹富島〕島暮らしのちょっと不思議な日常「卵を買いにフェリーに乗って」

首都圏から竹富島へ移住! 島暮らしの子育てと学び【04】

石垣港行きの最終フェリーが出た後の夕方の海。島の人がほとんどの静かな島に一変。ほぼ貸し切りで遊べることもあります。  写真提供:片岡由衣
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東京で育ち、結婚後は子ども3人&夫の5人家族で神奈川県に暮らしていたライター・片岡由衣さん。夫の仕事都合で、2019年春に人口約300人の小さな離島・竹富島(沖縄県八重山郡)へ引っ越してきました。
今回は、島に来てから想定外に感じた寂しさ、コロナ禍での変化をつづります。

懐かしさのあまり郵便局で涙

私たち家族は、転勤族です。これまで、京都→神奈川→竹富島と引っ越してきました。「知らない土地にいきなり行くなんて」「夫は仕事があるけど、妻は新しい土地に慣れるのが大変」など、転勤には何かとネガティブなイメージもあるかもしれません。しかし、私は新しい環境へ飛び込むのが好きなタイプなので、竹富島へ行くことを決めてからは、不安よりも楽しみの気持ちの方が大きいくらいでした。

それでも京都や神奈川では近くに親戚がいて、知人がまったくいない土地で暮らすのは子どもが生まれてから初めてのこと。

小学生の長男と次男は、島暮らしにすぐ馴染み、学校から帰ってくるなり「いってきまーす!」とランドセルを放り出して遊びに行く順応ぶり。わが子ながら感心します。

一方、引っ越し当時(2019年春)の私は、仕事もしていませんでした。昼間は3歳の娘と2人きり。一歩外に出ると、何種類いるのだろう? と思うほど多くの鳥の声が聞こえ、花の香りがただよってきます。赤瓦屋根の家が並び、地面はコンクリートではなく、白いサンゴ砂が敷かれた道が広がります。

「そうだ、私は今竹富島に住んでいるんだ……」と散歩で外に出るたびに新鮮さを感じていました。それまでの暮らしと180度異なる景色は、もちろん魅力的。しかし、時間が経つにつれ、一般的なお店がほとんどない街並み、人とあまり会わない日々に少し戸惑い始め、寂しさもじわじわと感じるようになっていきました。

国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている竹富島の集落。新しい建物を建てるのには許可が必要で、景観が守られている。  写真提供:片岡由衣

その頃、ひそかに私が癒しを感じていたのが、島唯一の郵便局です。外観は竹富島らしい建物ですが、中に入ると、全国の郵便局と変わらない内装と制服の郵便局員の姿です。「前にいた場所と同じだな」と思うと、懐かしさがこみ上げ、緊張がほどける感覚がありました。

住所変更などで行くたびに、「こんにちは」「娘さんおいくつ?」「島の暮らしはどうですか」と話しかけていただき、少し涙が出そうなほどほっとすると同時に、何気ない日常会話の大切さを身にしみて感じました。

振り返ると、神奈川にいた頃はほぼ毎日予定がありました。学校行事、幼稚園や習い事の送迎、私自身もゴスペルとピアノを習い、地域のイベントで演奏活動もしていました。引っ越す前は次男の卒園式の謝恩会係をし、学生時代の文化祭前のように毎日、人と会い準備を重ね、同時に引っ越しの荷造り。目が回りそうなほどの忙しさ! 実家が近かったため、何かと助けてももらっていました。

それがすべてなくなって、平日の昼間は娘と2人きりになったのだから、今思うと、少し燃え尽き症候群のような、ホームシックのような状態だったのかもしれません。

島唯一の郵便局(左)。赤瓦屋根の琉球建築が特徴で、丸型ポストも可愛い。次男は学校の生活科の授業で、郵便局を取材して新聞を制作(右)。この新聞はしばらく港に掲示されていた。立ち止まって読む島の人を見かけたとき、皆さんに見守られているのを感じた。   写真提供:片岡由衣

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