「どう思う?」では子どもの“本当の言葉”は聞けない “国語力”が身につく問いを注目の教育者2名が伝授

国語教師・甲斐利恵子✕教育者・鳥羽和久対談#1「“言葉の力”の育て方」

“安心”があって「本当の言葉」は生まれる

鳥羽 そもそも甲斐さんは、公立校の頃から、いろんなことにぶつかっては、自分の殻を破ることを繰り返してきたんじゃないかと想像するんですが、公立校の38年間はどうでしたか。

甲斐 本当に楽しかったです。それはベースに大村はま(*)がいたからだと思います。
20歳のときに『教えるということ』(*)を読んで衝撃を受けて以来、大村に私淑(ししゅく)しているんです。

*大村はま=1906年生まれ。1928年から国語科教師として働き、「単元学習」と呼ばれる指導法を自ら考案、実践した。退職後も九十歳を過ぎるまで「国語教育研究」を継続した。主著に『教えるということ』『大村はま 国語教室』全15巻(筑摩書房)。2005年歿。

例えば、彼女は「私たちの仕事って子どもを知ることですよ」と言います。さらに、子どもを知るためには「本当の言葉が生まれる教室」が必要だと説く。

「あなたの好きなものは?」「何に興味があるの?」と問われて答えるような言葉では、子どもの本当の姿を知ることはできない。子どもたちが、自然と言葉を発してしまう教室をつくりなさい、と。

鳥羽 「あなたの好きなものは?」「何に興味があるの?」と尋ねられた子どもは、自分の欲望に対して正直になるのではなく、むしろ、大人に忖度(そんたく)してしまい、その結果、自分の声を失ってしまう。大村の言葉には、そういう洞察が含まれている気がします。

そして、甲斐さんは、大村の言葉を正面から受け止めて、「本当の言葉が生まれる教室」をつくる努力をされてきたのですよね。

甲斐 ええ、でもそれを意識し出したのは、四十歳を過ぎて、大村の全集を読み返したときからでした。それまでは大村のやり方を取り入れたい一心で、がむしゃらに実践していただけなのですが、「本当の言葉が生まれる教室」というワードに出会い直して、ようやく実践の方向性ができたように思います。

甲斐氏は「本当の言葉が生まれる教室」を生み出すために、教材や授業などほぼを手作りしてきたという。  イメージ写真:アフロ
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鳥羽 非常に含蓄(がんちく)のある言葉ですが、甲斐さんは、具体的にはそれをどのようにとらえたのでしょうか。

甲斐 「本当の言葉が生まれる教室とは?」と問われて、いつも頭のなかがぐるぐるしてくるのですが、一つ言えることは、子どもたちが、自分のなかから出てきた言葉で、本当に話したいことを話せる場所のことです。

そのために大切なのが「安心」なんですね。自分の言葉が否定されるかもと怯(おび)えたり、正しい答えは何だろうという方向にいってしまったり、先生が望む答えはなんだろうと忖度したりせず、子どもたちが安心して発言できる環境こそが、理想的な教室。生徒一人ひとりが自分でいられる、そんな場所をつくることが、私の仕事だと思います。

私には、「子どもたちを知る」ことと「子どもたちに教える」ことが、ものすごく近いように感じられます。「知る=教える」。つまり、いつもそばにいて、「あなたのことを見ていますよ」という存在があって、子ども自身が安心できて初めて「本当の言葉が生まれる」のだと思います。

鳥羽 知ることがイコール教えるにつながるというのは、とても興味深いです。「知る」ことを通した安心の手触りが、「教える」を発動する場を醸成(じょうせい)する、ということですよね。

それにしても、自分のことを知ってくれている大人が、親以外にいることは子どもにとってとても大事です。悩みが深いときは特に。そして、子どものことを知るというのは、教える側にとっても、特別な力が発動する源になります。例えば、彼らに何かあったときには、考えるよりも先にからだが勝手に動くんですよね。

甲斐 本当にそう思います。「助けてあげなきゃ」と思うんじゃなくて、気がついたら私はもうその子のそばにいる。自分のからだがそんなふうになれたらいいなと。

鳥羽氏の新刊『学びがわからなくなったときに読む本』(あさま社)では、本来の「学び」とは何かを、最前線の「学び手」7人から探った。

言葉を血肉化する授業

鳥羽 冒頭でお話しした、大村はまの「本当の言葉が生まれる教室」というワードが非常に重要だなと思ったので、その話をもう少しくわしく聴かせてください。

僕も国語を教えるときには、言葉こそが子どもたちの財産になると信じて授業をしますが、いまそういうことを言うとけっこう嫌われるんですよ。でも、国語の先生が言葉の力を信じなかったら、誰が信じるんですかと思ってしまう。こういう考え方は、少数派になってきているように感じますが。

甲斐 言葉が考えを連れてくるのにね。「とても嬉しかったです」の「とても」という副詞一つをとっても、「心底」「予想外に」と言えたほうが、自分の考えがより立体的になります。

実際、簡単な言葉しか持たなかった中1の子が、言葉を獲得していくプロセスを経て中3になると、人間としての幅も出てきます。それは、さまざまな教育活動の成果が積み重なった証拠でもありますし、心身の成長にともなって、言葉が豊かになったからだと思うんです。

私の役割は、その言葉を血肉化する手助けをしてあげること。この授業で「つまり」と言い換えることができるようになるといいなと、考えて単元をつくるものもあります。

子どもが発言したら、「つまり?」と聞く。「それを別の言葉で言うと?」とさらに聞くと、どんどん違う言葉が出てきます。自分の言葉に、自分の言葉を重ねていくことで、「自分はこんなことを考えていたのか!」と発見できたりします。

また大村の話で恐縮ですけど、子どもに「どう思ってますか?」と聞くのは「ちょっと品がないですね」と、彼女は言っていました。直接問うのではなく、いつのまにか子どもが自分自身で考えてしまうような言葉を添えてあげる。それが大事だと思います。

「よく考えて一言でまとめてごらんなさい」なんて言うと、子どもは無意識のうちに先生が期待している言葉を選ぶでしょう。先生や周りの子どもとの関係性のなかでしか、話せなくなってしまう。だから慎重に導いていかないと、本当の言葉は生まれないんです。

鳥羽 具体的にどんな言葉を添えてあげることが多いですか。

甲斐 「根底には」や「そもそも」という言葉はよく使います。この二つの言葉は、本質に立ち返っていく言葉です。

例えば、『平家物語』の単元についてお話ししますね。このときは角川ソフィア文庫のビギナーズクラシックスシリーズの『平家物語』を、一人に1冊ずつ渡しました。目次を見ながら、どんな内容かをコンパクトに説明したあと、今回の単元では「人物論」に挑戦することを伝えました。

『平家物語』に登場する人物はどれも魅力的であること、ここから一人の人物を選んで人物論を書くのですよ、と言いました。子どもたちは古典ということもあって少し緊張しているようでした。

そこで、いきなり一人ずつ違う人物を取り上げるのは少しハードルが高いと感じ、全員で「敦盛(あつもり)最期」を読んで「人物論」に挑戦することから始めました。敦盛か熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)か、どちらかを選んで書いてみます。そのときに「根底には」という言葉を必ず使うということを条件にしました。

直実であれば「優しい人」、敦盛であれば「立派な人」だけではなく、もっとその人物を深く掘り下げる言葉が生まれてほしいからです。ここで、「よーく考えて」「深く掘り下げて」「優しいとか立派なだけでなく」などと言ってもそうはならないものです。

どんな言葉がその人物の本質的なところに迫っていけるだろうか。それを考えて「根底には」という言葉を選びました。人物の価値観にまで深く触れながら、考えてほしいと思ったのです。

子どもたちは、「根底には」という言葉を使うことによって、自然と彼にどんな家族がいて、武士としてどんな立場にいたのかと、直実の内面の奥深くに関心を寄せていけるようになったと思います。

鳥羽 たった一言付け加えるだけで、考えはどんどん深まっていく。

甲斐 そうです。そして、知らない言葉であっても自分の頭やからだを一度通すと、それは血となり肉となると思います。いつのまにか記憶のどこかに定着して、何日か後には友だち同士の会話に飛び出すようになる。「お前、根底にさ、人を馬鹿にしようとしてる気持ちがあるんじゃない」と。そういう会話を耳にすると、「あ、使ってる!」って嬉しくなります。

鳥羽 子どもが言葉を獲得していくプロセスは、見ていて楽しいですよね。しかし、このような「本当の言葉」を話すことはいま、子どもだけでなく大人もまた難しくなっていると感じます。

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