かたちのない「言葉」を絵本に 作家おーなり由子さんに聞く言葉への想い

もしも言葉が目に見えたら──── ロングセラー絵本『ことばのかたち』作者のおーなり由子さんにインタビュー

10月27日は「文字・活字文化の日」。この記念日は、2005年に施行された文字・活字文化振興法に基づいて、制定されました。それから17年、文字・活字文化はどんどん多様化・複雑化しています。

言葉の海の中で、迷ったり、ときには傷ついたり、言葉とのつながりや見えない相手への伝え方を手探りしながら暮らしている方も多いかもしれません。
そんな「言葉」について、考えさせられる絵本があります。著者は、絵本作家、漫画家、子どもの歌の作詞も手がけるおーなり由子さん。刊行された2013年から9年のときを経た現在も、読むたびにいろいろな気づきがある絵本として、多くの人の心に寄り添い、版を重ねてきました。おーなりさんに、創作にこめた想いなどを語っていただきました。

言葉の奥に隠された「見えないもの」と 向き合うことの大切さに気づかされる絵本

『ことばのかたち』 おーなり由子・作
言葉はときに相手に思うままに伝わらないことがあるものです。どうしてあんなことを言ってしまったんだろうと後悔したり、なにげないひとことで勇気をもらったり、ほんとに不思議。そんな日々の言葉の向こう側にある風景を詩のように紡いだ絵本が『ことばのかたち』です。

「言葉の情景を可視化する試み」

──絵本にしたきっかけと、制作過程のエピソードを教えてください。

この絵本を作る少し前に、雑誌で「もしも練習帳」という連載をしていたんです。毎回、いろいろな「もしも」を考えて、短い文に絵や写真をつけるというものだったんですが、当時、自分の子どもがまだ小さかったころで、自分が子どもにかける言葉や、子どもたちどうしがやり取りしている言葉、大人たちの言葉について、いろいろと気になって考えたり、感じたりすることが多くて。

それで、「もしも、言葉が目に見えたら、話す言葉は変わるかな」と想像して、詩のような文を書いたのが元になりました。雑誌の連載ページだったのに、その回は思いがけない反応があって、学校で読んでくださるところがあったり、いろいろ感想をいただいて。いつか、ひとつひとつの言葉を、本当に目に見えるように、絵本にしてみたいな、と思っていました。

消えていく話し言葉だけれど、言葉のむこうがわの、目に見えない本質が「かたち」になって現れるのを自分でも見たくて。もし見えたら、言葉の使い方は変わるんだろうか、と思ったり、見えたらきゅうくつかもしれない、と思ったり。揺れ動きながら絵にしていきました。

「もっと話すのがじょうずだったら、描く仕事をしていないかもしれない」

──言葉って、かける想いによって、伸びたり縮んだり。同じ言葉でも、言い方や受け取る人の心の状態によっても、印象が変わりますよね。

わたし自身、言葉をじょうずに話せるほうではなくて、もどかしく感じることのほうが多いんです。こう言おうと思ったのに言えなかったとか、言葉が足りないことがあったり。だから、どうにかして、自分の思っていることを伝えたくて、絵も文も両方使って、じたばたと描いているようなところがあります。もっと話すのが得意だったら、こういう仕事をしていないかもなあ、と思うことがあります。

もし、言葉が目に見えたり、言葉に温かいとか冷たいとか、そういう触感があったら、伝わり方って変わるのかな? と思うことがよくあって。

それと反対に、言葉の向こうにある気持ちを感じる力って、誰にでもあるものだから、見えないことのほうが正確に伝わるのかも、とも思っていて。自分自身も、もっと、見えない言葉を見る力をつけたいなあ、と思うんです。だから、絵本にしてみたかったのかもしれません。
『ことばのかたち』中面より

「言葉には見えている言葉と、見えない言葉がある」

──お子さんが赤ちゃんのころのコミュニケーションで気づいたことはありますか?

言葉を持っていない赤ちゃんとは、だっこしたり、触りあったり。声の高さとか、肌や視線で会話しているような感じがありました。赤ちゃんとは、遠くからでも、よく目が合うなあ、と思っていたんですが、ある日、いつもわたしを見ているんだ! と気がついたときは、胸がいっぱいになりました。

目が合うと、喋らなくても「おかあさん、おかあさん」って言っているみたいで。赤ちゃんの視線から「おかあさん、いる、いる」って、安心しているのが伝わってくると、わたしのほうも安心な気持ちになって。赤ちゃんには、言葉以外の方法でやりとりする力を鍛え直されました。

大人になるにつれて、言葉を信じすぎてしまうのではないでしょうか。赤ちゃんとのやりとりは、原始的な感覚というか、自分が小さいときの気持ちを呼び覚まされるような感じが新鮮だったんですが、こっちのほうが、シンプルで、上等なコミュニケーションなのでは、と思いました。見えない言葉のやりとりは、『ことばのかたち』の絵本にもつながるものかもしれません。

「温度、触感、空気感は、直接話すことで得られる情報。いっぱい場を共有したい」

──新しいコミュニケーションが生まれている今だから感じることはありますか?

コロナ以前は誰とでも自由に会って、なんでもない時間を好きに過ごすことを、あたり前と思っていたけれど、じつは、そのことにすごく支えられていたんだな、と思います。不要不急なことって大事。とくに用事がなくても「会う」って、すごいことやねんなあ 、と思います。

たとえば、黙って、いっしょに木を見ているだけでも、とても良い時間だったりするし、隣で別々のことをしていても、あたたかい、とか、良いにおい、とか、同じように体験していることがいっぱいあって。「場」の力というか。情報量がぜんぜん違う。本当にたくさんの、言葉になっていない言葉があるんだと思います。

人がまとう空気とか、音とか匂い、視線とか、温度とか……。会うだけで、目には見えないなにかを、いっぱい受け取っていると思います。

一緒にいて、どうでもいいことで、笑い合ってる時間って、ほんとうに幸福です。そんな中で、ふいに、ぽつんと忘れられない言葉をもらったりして。

『ことばのかたち』の中でも、そういう、ふだんは意識していないけれど相手から受け取っている空気感や、見えない言葉を、絵にしてみたかった気がします。

「この言葉の根っこは何かな?」

──直接会えないことで誤解を生むこともありますね。

会えなかったら、気持ちも見えにくいし、どうしても「言葉」だけにつまずきやすいですよね。言葉には根っこがあるから、見えている言葉がすべてと思わないように、心しておかないと、と思います。「好き」なのに、うっかり「嫌い」と言ったりしてしまうのが、人間のややこしさで、おもしろさだから。言葉で間違うことを許さないと、心がどんどん遠くなってしまう。言葉の向こうに広がっている、親しくなりたい気持ちを見るようにしたいです。

もともと「言葉は不完全なもの」だから、「この言葉の根っこは何かな?」と考えるようにできたら。表紙の絵が「木」なのは、そんな想いもあるんです。色とりどりの言葉の葉っぱと、見えない根っこと。もしかすると、会えない時は、そういう、見えない根っこを信じる力を身につける良い機会なのかもしれない。見える言葉だけに振り回されないようにしたいです。
『ことばのかたち』中面より
──読者の皆さんに、この本をどんなふうに楽しんでもらいたいですか?

この本を描いたのがずいぶん前になるので、すでに、自分の本でありながら自分の本ではないような感覚なんです。もう、すっかり、読者のものになっている気がしていて。

『ことばのかたち』は、言葉のことを書きながら、言葉以外のことを描いている絵本です。自分でなにか、ひとつの答えのようなものがあって描いたわけではなくて、読む人が、本の中で好きなようにふくらませて、話したり、楽しんでくれるといいな、と思います。
「だまっている」という ことばのむこうに 

ゆたかな森が ひろがっているかもしれない

「だまっている」という言葉の深遠さ。ひとことでこの絵本の味わいが深まります。 『ことばのかたち』中面より
声によって 色はかわるのかな


「しずかな声なら 青い花」

「やさしい声は さくらいろ」

文に寄り添う柔らかな絵も心に染み入ります。

『ことばのかたち』おーなり由子・作 講談社
構成/五十嵐千恵子