小学校教育は150年不変 「次の授業のカタチ」はこうすれば拡がる!

[小学校教育2.0]#1「学びの個別化と協同化」とは

熊本大学教育学部准教授:苫野 一徳

一斉形式の授業はじつは明治時代から変わっていません。  写真:アフロ

日本では、小学校に入学すると、突如として本格的な「勉強」が始まります。

多くの幼稚園や保育園で行われている「子どもの主体性を重視した幼児教育」から一転、「黙って座り、先生の言うこと聞く」授業が中心に。その変化に戸惑う子どもも多いのが現実です。

また親としても、「基礎的な学力は大切」「将来困らないようにしっかり勉強して欲しい」と思う反面、暗記や反復だけでは「自ら考える力」が求められる時代に対応できないのではと不安に感じてしまいます。

いったい子どもにとって何が“よい教育”なのでしょうか。

教育学、哲学の専門家で、多くの学校、自治体などで教育アドバイザーを務める苫野一徳先生(熊本大学教育学部准教授)に、小学校低学年の子どもを持つライターが、日頃から感じる学校での学習や学力への疑問などをぶつけてみました。

勉強は「遊び」⁉︎ 「我慢してやる」は大人の勘違い

――今年小学2年生になった娘がいます。低学年の学習は、「覚えて反復する」ものが多く、宿題も漢字や計算が中心です。子どもからは、「面倒くさいけど、仕方なくやっている」雰囲気が漂っていますが、基礎学力をつけるのは大切なこと。どうしたら、自ら進んで勉強するようになるでしょうか?

苫野一徳先生(以下、苫野先生):まずお話を始める前に、大前提として断っておきたいことがあります。

それは、本来学びというのは、子どもにとっても大人にとっても『楽しくてワクワクする』ものだということです。

知らないことを知ること、できないことができようになること、こうした経験を友だちや周りの大人と共有できることは、本当はとても楽しく、刺激的なことです。

苫野一徳先生は、全国の自治体や学校で、新しい授業づくりの実践などに携わっていらっしゃいます。

苫野先生:幼児教育では常識ですが、幼少期の『遊び』は、その後の『学び』の基本となります。遊びに夢中になっている時、子どもたちは時間を忘れ、目の前のことに没頭します。

こうした『遊び浸り』のなかで、自分の関心をとことん追求すること、粘り強く探究すること、人と協同したり折り合いをつけたりすることを学びます。

学びの本来ある姿も、これと全く同じなのです。ワクワクして、ついつい没頭してしまうもの。遊びの延長線上に学びがあり、『我慢してやらなければならないもの』では必ずしもないのです。

ですから、子どもにとって『おもしろい』『やってみたい』と感じる内容や方法であれば、大人がやりなさい! なんて言わなくても、子どもはどんどん勉強を進めていきますよ。

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