新・小学校の授業スタイルが「学びの個別化と協同化」で広がる 子どもを勉強ギライにする「一斉授業」を150年ぶりに改革
[小学校教育2.0]#1「学びの個別化と協同化」とは
2022.05.17
熊本大学教育学部准教授:苫野 一徳
子どもを勉強ギライにしてしまう「一斉授業」
――確かに理想はそうかもしれませんが、学びが楽しくなるには基礎学力の習得が必要で、そのためには「ある程度我慢して勉強する」ものではないのですか?
苫野先生:そこに大きな誤解があると考えています。読み書きや計算などの基礎的な学力は、『苦痛を伴わないと身に付かないもの』ではありません。
むしろ現状では、多くの学校で『学びを嫌いにしてしまうシステム』を採用していると言った方がいいでしょう。
『みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で』『言われたことを言われた通りに』学習する、一律一斉のカリキュラムや授業。子どもたちが小学校に入った途端に勉強をキライになってしまうのは、この一律のシステムが一つの根本的な原因だと考えています。
苫野先生:みんなで同じことを同じペースで進めれば、理解に時間がかかる子がいたり、反対にすぐにわかって退屈してしまう子がいたりする。これはよく考えれば『当たり前』のことです。
にもかかわらず、同じペースで授業を進めることが前提になっているために、わからない子はわからないまま授業の間中じっと耐えて座っている、わかっている子はすでに理解したことを一方的に何度も教えられる、もしくは何度も同じことを一緒にやらされる。
これでは、学校や学びが楽しくなくなってしまっても仕方ありません。
『落ちこぼれ』や『吹きこぼれ(授業が簡単すぎてつまらない子ども)』、『小1プロブレム』など、今子どもたちの問題として語られていることのほとんどは、一律のカリキュラムや一斉授業を前提とした『学校システム』の問題なのです。
明治時代から150年間変わっていない
――子どもたちが勉強ギライになってしまうのは、授業方法、学び方の問題ということでしょうか?
苫野先生:はい。このベルトコンベア式の学校システムは、明治時代から150年もの間、基本的にはあまり変わることなく続いてきました。
当時は、いち早く近代化を進めるために、一斉に学校をつくり、大勢の子どもたちに対して一律に『国民教育』を行う必要がありました。
そのために最も効率的な教育方法が、みんなで一緒に同じことを学ぶ一斉授業のスタイルだったのです。明治の公教育が始まった頃は、ある意味では合理的なシステムでした。
しかし、時代は変わり、このシステムはもはや、機能不全に陥っています。明治から、私たちの価値観は大きく変わりました。体罰や人種差別が当たり前に行われていた時代から、多様性を重視し、一人ひとりの個性や自主性を尊重する時代へ。ジェンダー平等が叫ばれ、同性婚も容認されつつある社会に変化しているのです。
そんななか、多くの学校は、今も『みんなで同じことを同じペースで』『言われた通りに』のカリキュラムを続けている。学校も、子ども一人ひとりの主体性をより尊重し、発揮できるシステムに転換していくべきです。