2021.04.06

かわいそうって言わないで! 小学校お受験で身につく“子どもの品格”とは?

庶民嫁が見た! 受験本ではわからないTOKYOお受験の裏側③

寄稿家:華子

写真:アフロ

中流家庭からプチセレブ一家へ嫁いだライター・華子。愛娘は自分と同じ普通コースで育てようと思っていたものの、義母の一言から、小学校受験への道が始まりました。
まったく未知だった東京のお受験は、庶民にはわからないことだらけ! 受験マニュアルには決して書かれていない(書けない)、お受験の赤裸々な裏話をお伝えします。

第3回は「小学校お受験における子どもの学び」について。

お受験勉強は「かわいそう」か? 「品格」を学ぶ絶好のチャンスにもなる

突然ですが、私立小学校のお受験というとどんなイメージを抱きますか?「小さい子にバリバリお勉強させてかわいそう……」と思ったりしていませんか? 実は、かくいう私も実際に我が子が受験をするまでは、心のどこかでそう思っていました。ですが、いざ体験してみると、私がイメージしていたお受験とはちょっと違ったのです。

お受験業界ではよく「子どもの身長と同じくらいの高さになるほどプリントを解かなければいけない」といわれますが、これは冗談ではなく本当です。ペーパーと呼ばれるプリントを、受験日までにそのくらいこなします。しかし、算国英数のような教科勉強をしているわけではないのです。あくまでも私の感想ですが、それは「小学校以降のお勉強に通じる予備教育」や、「幼児期にする英才教育」といったたぐいのお勉強に感じました。だから、ペーパー試験の中身も知能テストのようなものですし、俗に「身長の高さ」といわれるペーパーも、フタをあけてみると、だいたい1枚につき一問しかないので、積み重なるのはあっという間でした(それでも多いですが)。

でも、そんなペーパー以上に大変なお勉強があったのです。
お教室を紹介してくれた山の手マダム(1回目参照)がおっしゃっていました。

「将来、世界中どこへ行っても恥ずかしくない『品格』を、学校教育が始まる前の幼少期に身につけておくことは大切だと思いますよ。3つ子の魂百まで、ですからね」

そうなのです。
名門と言われる私立小学校を目指すには、まず「品格」を身につけることが必要不可欠なのです。幼児に品格って!? と思われるかもしれません(私もそうでした)。でも、確かに、名門私立小学校に通う子どもを見てみると、公立小学校生だった私とは違い、シュッと姿勢が正しく、かしこそうな雰囲気が漂っている。そう、この違いは、小学校受験までに「品格」を磨く教育を受けてきたかどうかだったのです。

実は理にかなっているお教室のレッスン

実際、お教室に入ってまず娘が最初に練習したのが、
「真っ直ぐ立ち、真っ直ぐ歩き、きちんと腰かける」
ということでした。

これが簡単なようで難しい。でも、数時間にも及ぶ試験の間は、試験官が目を皿のようにして子どもの様子を見ているのです。長時間なだけに、子どもはどう取りつくろっても素の姿が出てしまう。大人でも一定時間正しい姿勢を保ち続けるのは厳しいのに、活発な幼児にとって、これがどんなに大変なことか……。だからこそ、ペーパー以上に、普段の行動をきちんと正してしておくことがとても大切なのです。

最初、娘は私に似て猫背でガニ股でした。立っても座っても歩いても、その姿はまさに私のミニ版。すぐさまお教室の先生の目に引っかかり、身体を鍛える運動と共に、細い板の上を真っ直ぐ歩く練習を始めることになったのです。すると、あーら不思議、練習をしている娘は、まるで映画などで見た“頭の上に本を乗せて歩く貴族の子女”のよう……。よく、美しい女性を形容するときに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といいますが、私の娘も「立つ、座る、歩く」を整えただけで、なんと“ミニ私”から、“洗練された良家のお嬢さん”へと見違えるような変貌を遂げたのです。

それだけでも目からウロコだったのに、このレッスンの真の目的は、「外股や内股だと体が歪むし、かけっこも遅くなる。だから早めに直しておいた方が良い」という考えのもと、「健全な肉体を形成する」ことだったのです。そうすることで自然と美しい立ち居振るまいも身につけられたという、まさに一挙両得な万能レッスンだったのです。

そのほかにもやらなければならないことはたくさんありました。
まず、朝起きて服を着て、脱いだパジャマをたたむ。洗面や歯磨きをマスターし、食事中のマナーはもちろん、その料理から文化や四季、行事も学ぶ。脱いだ靴は揃え、ご挨拶やお辞儀などの礼儀作法、正しい名称や話し方の習得――など、朝起きてから寝るまでの一つ一つの行為全てを意識して、きちんとした言葉遣いや所作、お行儀などを身に付けていくのです。そう、小学校受験に向けてのお勉強は、中学校以降の受験とは全く異なり、生活様式から徹底的に学んでいく、まさに山の手マダムのいう「3つ子の魂百まで」の、「品格」部分のお勉強が大半を占めていたのです。

お受験ママだって、常に戸惑い、迷い、不安

しかし、この「品格」のお勉強こそが親にとっては艱難辛苦、至難の業なのです。相手が幼児ゆえ、ご機嫌を損ねないようにさりげなく、根気強く、優しく、ていねいに、繰り返し体に染みつくまで教えていかなければいけない。まだ好き勝手したい幼児に24時間365日つきっきりで所作やお行儀を躾けていく大変さといったら……。ましてや、自分に品格が存在しているかどうかすらあやしい私が、我が子に品格を教えるのだから、不安しかありません。

試験日が近づくにつれて“気持ちを落ち着ける薬”を処方してもらうママさんが出てくるのも、とても他人事とは思えない。みんな「明日は我が身かも」という恐れを抱きつつ、来たるその日まで全力で走り抜けるのです。これが「小学校受験は親が10割」と言われている理由でしょう。外部からの影響が少ない幼児期の子どもだからこそ、行動を見れば「親の品格」から、さらには「家格」まで見透かされてしまうのですから。そんな全力疾走の日々の中で、ふと自分の姿を客観的に見つめることがあります。

「本当にこれがこの子にとって、良いことなのだろうか」

お受験はその自問自答の繰り返し。
我が子の将来に役立つはずの躾けとはいえ、目下の目的がお受験のためであることは否めないのだから、当然我が子に対して罪悪感を抱きます。何も考えず、無邪気に幼児期を過ごすことにはならない我が子に対し、少なからず「かわいそう」と思っているママがほとんどなのではないでしょうか。そんなとき勇気付けてくれたのが、先輩ママのこの言葉です。

「でも、高校や大学へ進学するならいつかは受験しなくちゃいけないでしょう。だったらまだ受験生という自覚がない幼稚園生のうちが、実は一番かわいそうじゃないかもしれないわよ」

そう。中学受験なら小学校時代、高校受験なら中学時代、大学受験をするなら高校時代――と、いつかは楽しい時間を犠牲にしなければならない時がくるのです。それを考えると、幼児期は好奇心旺盛で新しいことを吸収してくれる時期。反抗期でもなく、親と一緒に何かをするのが嬉しいときだからこそ「お勉強」も素直に一生懸命してくれる。

親の手腕にもよりますが、「お絵描きしたり、工作したり、運動したり、未知のことを学んでいるうちにいつの間にか私立小学校に入っていた」と、最後まで自分が何をしていたか気付かないケースも多いのです。だから、たとえ残念な結果になったとしても、あまり深刻に捉えず、すぐに忘れてしまう子がほとんど。つまり、挫折感を引きずらずにすむのです。そういうことからも、実は、小学校受験生が“もっとも悲壮感のない受験生”と言えるのではないでしょうか。

何より、大人になってから品格を身に付けるのは、実はとても難しい気がするのです。私自身がそうなのですが、マナー教室や指南本で学んでも、どうも自信が持てず“無理している感”が出てしまう。どうしても「上品ぶっている」と相手に思われていないか、心配になってしまうのです。それは、品格が意図的に行うものではなく、無意識的な動きの中で醸し出されるものだからではないでしょうか。だから幼児期のうちに、しっかり礼儀作法を体得させておくことは、お受験をするしないにかかわらず非常に大切だと思うのです。

小学校入学までの6年間、全身全霊を注ぎ伝授してきた親の躾けが、その子の「品格」として一生涯、体に宿るなら、それは「かわいそう」どころか、むしろ親から子への“究極の生前贈与”ではないでしょうか。
お金は使えばなくなるけど、身についた品格は決して消えないものだから――。

〜華子が考える『品格ある幼児に見える5つのしぐさ』〜

①    姿勢良く立つ、座る、歩く(座るときは深く腰かけ、両足を地面にしっかりつける)

②    ていねいにモノを扱う(投げない、乱暴に置かない)

③    お箸の持ち方や使い方が正しい(お箸の持ち方は鉛筆の持ち方に通じます)

④    目を見てハキハキとご挨拶する(お辞儀は腰から曲げる)

⑤    脱いだ服をたたむ、靴をそろえる(早さよりていねいさが大切)

※この記事は、ライター華子の個人的体験及び感想に基づくものです。私見のため、一般的な見解とは異なる場合があります。また、一部については創作的表現が含まれております。

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寄稿家紹介

華子 はなこ

一般的なサラリーマン家庭で育ち、首都圏で公立小・中・高を過ごす。都内の大学卒業後、フリーライターに。プチセレブな夫と友達の紹介で出会い、結婚。女児の母。庶民との差に日々驚きつつも、平然なふりを装ってアセアセと暮らしている