ひろゆき「『自分はこれが得意だ』という“思い込み”は重要」

【WEBげんき新連載】わたしが子どもだったころ #1ひろゆき

ライター:山本 奈緒子

【WEBげんき新連載】わたしが子どもだったころ

「あの人は、子どものころ、どんな子どもだったんだろう」
「この人の親って、どんな人なんだろう」
「この人は、どんなふうに育ってきたんだろう」

今現在、活躍する著名人たちの、自身の幼少期~子ども時代の思い出や、子ども時代に印象に残っていること、そして、幼少期に「育児された側」として親へはどんな思いを持っていたのか、ひとかどの人物の親とは、いったいどんな存在なのか……。

そんな著名人の子ども時代や、親との関わり方、育ち方などを思い出とともにインタビューする新連載です。

初回は、まさに今大注目の2ちゃんねる創始者・ひろゆきさんです。

「周囲にはとにかくいろんな人がいた」

撮影:榊智朗
僕が育ったのは東京都北区の団地です。一軒家に住んでいる人は10%もいないという、いわゆる“裕福でない”エリアでした。僕の父は国税庁の職員だったので、僕の家は正確には団地に面した国税庁宿舎でしたが、生活圏は同じだったので、まわりには低収入の家庭や失業者がいっぱいいました。当時はそれが普通だと思っていて、高校ぐらいまでは「働かないこと」が特におかしいことだとは気づいていなかったんですよね。

友達はみんな団地の子で、どの家庭も経済的には豊かではありませんでした。生活保護をもらっている家庭も多くて、昼間に訪ねてもお父さんがいて、いつも「こんにちは」と挨拶をしてくれる。今になってみると「何でいたんだ?」という感じなんですけど、当時はそういうものだと思っていました。で、夏はどの家もドアを開けっぱなしで鍵なんてかけていなくて。皆、クーラーがないので風を通していたんですね。

一方で、母親の手作りマドレーヌを届けたら、「他人が来たらドアを開けるなと言われている」と、頑なに開けないような友達もいました。僕は「じゃあチェーンロックをかけたまま差し入れればドアを開けたことにはならないんじゃないか」と交渉したんですけど、「それもダメだ」と断られましたね。でもとくに「失礼だな」とか思うことはなくて。とにかくいろんな人がいたので、ただそれぞれの考え方がある、としか思っていなかったんです。

「理不尽だと感じると嚙みついている子どもでした」

僕の父は無口で、子どもにも全く干渉しない人でした。反対に母はずっと喋っているような人で、しかも声も大きかった。僕の部屋は宿舎の5階だったんですけど、母が外(つまり1階)で喋っていると5階まで届いていたほど。でもそれもとくに恥ずかしいとかはなくて、ただ「他の親は静かだな」と思っていたぐらいでした。

当の僕はというと、いつも一人でトカゲを捕まえて遊んでいる子どもでした。だから比較的大人しかったんですけど、理不尽だと感じると急にキレて持論をまくし立てるようなところはありましたね。僕はとにかくトカゲが大好きだったので、一度、プレゼントのつもりで4階の家にトカゲをバラまいたんです。そうしたら激怒されて。僕はそれが失礼だなと思って、ブチ切れてトラブルになった、ということがありました。今思えば変わった子だったのかもしれませんが、とにかくまわりがおかしな人ばかりだったので、とくに自分を変えなきゃとか人に合わせなきゃという意識を抱くことはなかったですね。

学校ではどうだったかというと、毎日怒られていた記憶があります。僕は、家に帰ると宿題の存在を忘れてしまう子どもだったんですよ。だからいつも休み時間にやっていたんですけど、そこで終わらないと忘れてしまって、翌日怒られるという。でも僕は別に宿題をやると言ったわけではない。なのに一方的に怒られて、理不尽だなあと思っていました。

他にも授業中はお喋りするしノートに落書きしているし寝ているしで、とにかくいつも何らか怒られていた。ただ僕の通っていた小学校は、僕よりもっと怒られている子がいっぱいいたし、勉強ができる子も少なかったんです。その中では僕は、一応授業は理解していたので、比較的“デキる子”の部類にはいたんですよね。

正門で先輩に毎日一発殴られていた中学時代

撮影:榊智朗
小学校は、そんなふうに決して優等生ではない団地の子どもばかりだったんですけど、中学になると、さらに周辺の団地の子たちも集まるので、荒くれ者が増えるだけという(笑)。毎朝学校に行くと、正門の前に中3の先輩が立っていて、1年生は皆、一発ずつ殴られるんです。だけど他を知らないから、中学校なんてどこもそういうものだと思っていて。うちがおかしかったんだというのは大人になってから知りましたね。

でもこの経験は、僕に“理不尽への耐性”というものを作ってくれました。野球部に入ると坊主にさせられるじゃないですか。坊主じゃないと野球ができないなんてことはないですから、皆「理不尽だな」と思いながらもルールに従っている。毎朝一発殴られるのも同じです。社会に出ると理不尽なことって山のようにあるので、今思うと、その予行演習みたいなものだったと思いますね。

高校は、私服のところに行きたいと思って。東京には私服の都立高校が3つあったんですけど、その中で当時一番偏差値の低かった高校に進学しました。私服なので外でフラフラしていても何も言われなくて。だから高校時代は遊ぶかバイトばかりしていたんですけど、卒業して予備校に通ったら、どうやら自分はマークシートが得意だと気づいて。国語は、本を読むのが好きだったので何とかなったし、社会も『政治経済・倫理』を選択したので覚えることが少なくて間に合った。それで何とか、中央大学に合格することができたんです。
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