【WEBげんき連載】わたしが子どもだったころ
「この人の親って、どんな人なんだろう」
「この人は、どんなふうに育ってきたんだろう」
今現在、活躍する著名人たちの、自身の幼少期~子ども時代の思い出や、子ども時代に印象に残っていること、そして、幼少期に「育児された側」として親へはどんな思いを持っていたのか、ひとかどの人物の親とは、いったいどんな存在なのか……。
そんな著名人の子ども時代や、親との関わり方、育ち方などを思い出とともにインタビューする連載です。
第9回は、最新エッセイ「エプロン手帳」(ポプラ社)も好評発売中の料理愛好家・平野レミさんです。
私は陽気で人好きだった父に似たみたい
母はとてもおっとりとしていて、話もゆっくりする人。私は父親に似ちゃったみたいですね。フランス文学者だった父は、陽気で人が大好きで、平野家はいつも千客万来。誰と会っても「食べていけ」「泊まっていけ」と言っていたので、本当にいろんな人が出入りしていました。弁護士から外国人から、それこそ詐欺師みたいな人まで(笑)。それがもう楽しくて楽しくて、学校どころじゃなかったです。私は勉強が嫌いな子どもだったんですけど、社会のことは家庭の中で全部学べました。このおじさんみたいな人になっちゃダメだなとか、このおばさんは素敵で憧れるなとか。これ以上の教材はないですよね。
子どものころはそれくらいおうちが好きで、学校が終わったら、友達と遊ぶよりも一目散で家に帰っていたんです。両親のことが好きすぎて、授業中も「家が火事になっていないかな」とか「強盗が入って殺されていないかな」とか、心配で心配で。それで家に帰って「あー、無事で良かった!」と安心する毎日でした。でも当たり前ですけど、親はいつかいなくなるもの。今になると、どうせいなくなるなら子どものときあんなに不安にならなければ良かったな、なんて思ったりもします……。
かつおぶしを削る音が目覚まし時計
両親は食べることにも何の強制もしませんでした。「食べたくないなら食べなくていい」という方針。私はナスが大嫌いだったんですけど、それも、「大人になれば美味しさが分かるわよ」と言うだけでしたね。だから私は大好きなお肉ばかり食べていました。
父は映画が好きで、試写会があると学校まで私を誘いに来るんです。だから私は授業を早退して父とお出かけして、帰りに銀座で美味しいものを食べて帰ってきました。一番よく覚えているのは「富士アイス」。日活の映画を観に行くと、その帰りによく寄りました。美味しかったなあ。今思うと遊びに行くために早退なんて、大らかな時代ですよね。両親はいつも「勉強なんていいから、いいから」と言っていて、「勉強しなさい」と言われたことは本当にないんですよ。
自分の子ども時代と同じように育てたつもりが…
私の妹は私より先に結婚したから、「あれ、やらせれば」「これ、やらせれば」と何かと薦めてくるんです。それで私は彼女に言われるがままに、子どもに習い事をさせていたんですね。そしたらピアノに剣道にって、けっこうな数になっていたみたいで。ピアノは、次男は「嫌だ」って行かなかったんです。でも長男は「嫌だ」って言いながらも辞めないの。今ミュージシャンになっていることを思うと、何だかんだ嫌いじゃなかったのかなあ。
反対に次男は、中学生のとき自分から「塾に通いたいからお金ちょうだい」と言ってきて。それでせっせと通って、勉強して、受けた高校全部合格したみたい。結局子どもって、好きなものは続くけど、やりたくないことはやらないと思うんですよ。だから強制したってしょうがない。そう思って、息子たちも自分が育てられたのと同じように育てたつもりだったけど、意外とそうでもなかったみたいですね(笑)。
そういえば習い事と言えば、長男が剣道教室に行くとき、「これを先生に渡して」とお菓子の箱を持たせたんです。ところがふと見たら、そのお菓子の箱がまだウチにあるの! 慌てて先生に電話して「私、息子に何を持たせていました?」と聞いたら、「ああ、香典返しのシーツでしたよ」って。「それで開けてみたら戒名が書かれた紙が入っていたんだけど、レミさんのことだからこれでいいと思って、もう封切っちゃいました(笑)」って言われたんです。ま、私の子育てはそんなデタラメだらけで何とかやってきた感じですね。