2024年大河ドラマ『光る君へ』主要登場人物が詠んだ歌を『5文字』でご紹介!
2024年大河ドラマ『光る君へ』主要登場人物が詠んだ歌6選
2024.01.07
次々情報が解禁され期待が膨らむ中、Ane♡ひめ.netでは、紫式部をはじめ主要キャストが詠んだ歌を書籍『5文字で百人一首』からご紹介します!
この書籍は、百人一首をくすりと笑える現代風の「5文字」にしてみたもの。ゆるく楽しく学べる新たな百人一首の教養本になっているので、和歌がはじめての方にもおすすめの一冊です。
1.紫式部
百人一首 第57首
雲がくれにし 夜半の月かな
紫式部
5文字に表すと?
訳と解説
雲に隠れる夜中の月のようにあっさり帰ってしまったのね
久しぶりに会った幼なじみが、すぐ帰ってしまったので詠んだ歌。本人かどうかを確かめる暇もなかったようです。その慌ただしさを、雲に隠れて一瞬で見えなくなる夜中の月にたとえています。
雲隠れにはえらい人が死ぬという意味もありますが、ここでは単に帰っただけ。
紫式部は、「源氏物語」の作者として世界的に有名です。書かれた当時から大人気で、多くの歌人が影響を受けました。
紫式部の「紫」は「源氏物語」の登場人物の紫の上から、「式部」はおそらく父親の役職からとられています。
2.儀同三司母
百人一首 第54首
今日をかぎりの 命ともがな
儀同三司母
5文字に表すと?
訳と解説
遠い未来まで守られるとは信じにくいので、今日までの命であってほしい
相手が自分をずっと好きでいてくれるか分からないので、今のうちに死んじゃおうという歌。
忘れる忘れないの話はこの百人一首にもいくつかありますが、それだけ恋人に捨てられる事例が多くあったのかもしれません。
作者と相手の藤原道隆はのちに結婚して、7人の子どもが生まれます。娘の定子が天皇の后になったり、息子の伊周が儀同三司という偉い役職についたりして、一時は日本一羽振りのいい家庭を持ちました。
3.清少納言
百人一首 第62首
よに逢坂の 関は許さじ
清少納言
5文字で表すと?
訳と解説
決して、われらが逢坂の関は通行許可を出さないでしょう
ある夜、藤原行成が清少納言の元に遊びに来たものの、用事があると言ってすぐ帰りました。朝になってお詫びをよこしてきましたが、その言い訳が「鶏が鳴いたので」だったのでした。
紀元前3世紀、中国の函谷関という関所で、朝に開くはずの門を、鶏の声真似で夜のうちに開かせた人がいました。
少納言がそれを思い出して「函谷関かよ」とツッコんだら、行成が「あなたと私が出会う逢坂の関ですよ」と返してきたので、返事として詠んだ歌。
清少納言は、『枕草子』の作者として有名です。『枕草子』にもこの歌についての話があります。
4.大納言公任
百人一首 第55首
名こそ流れて なほ聞こえけれ
大納言公任
5文字で表すと?
訳と解説
その名声は流れ伝わって今でも聞こえてくるよ
京都の嵯峨の大覚寺というところにみんなで行ったときに、滝を見て詠んだ歌。
その滝の流れはもう止まっていて、音も聞こえてこないけれど、その評判は世間を流れて今でも聞こえてくるよと。
「音」は、耳で聞く音のほかに、評判・噂という意味があります。「音に聞く」で「噂に聞いた」といった意味になります。この歌を通して、さらに1000年ほど経った今でも、私たちは滝の「音」を聞くことができます。
後半、「な」が4回出てくるところもおもしろい歌です。
5.赤染衛門
百人一首 第59首
かたぶくまでの 月を見しかな
赤染衛門
訳と解説
夜が更けて西に傾くまで月を見てしまいましたよ。
藤原道隆が儀同三司母と結婚する前の話。道隆が赤染衛門の姉か妹に、これから行くよと言っておきながら、とうとう朝になっても来なかったとき、それを聞いた赤染衛門が代わりに道隆に贈った歌です。
何もなければ寝ていたのに、おまえのせいで夜更かしして、月が動くのをずっと見るはめになったぞ、と怒っている。
「やすらはで」は「ためらわないで」という意味。「もう来ないから寝よう」と「いや来るかもしれないから起きてよう」の間を一晩じゅう行ったり来たりして迷っていたことを、この一言で匂わせています。
6.右大将道綱母
百人一首 第53首
いかに久しき ものとかは知る
右大将道綱母
訳と解説
どんなに長いものか、あなたは知っていますか
作者の夫が朝帰りしたとき、門をなかなか開けないでいたら、待ちくたびれたよと言われたので返事がわりに詠んだ歌です。待ったのはこっちだよと言って怒っています。
昔の女の人の本名は、歴史にはあまり残りません。親しい人にしか教えないものだったからです。
歴史を調べるときにそれじゃ困るので、だれだれの母・女(むすめ)と、仮に呼んでいます。
右大将道綱母も、「右大将という仕事をしていた藤原道綱さんのお母さん」という意味で仮にそう呼ばれています。彼女は『蜻蛉日記』の作者として、息子である藤原道綱より名が広まっています。