僕がブチ切れている間じゅう、ずっと廊下で待たせてしまい、本当に申し訳ないことをしてしまった。同時に、シャウトする声は廊下にダダモレだったはずなので、外では“気弱で優しいパパ”を装っている僕の本性もバレてしまっただろう。
そのほか、お見舞い金を送ってきてくれた妻の仕事関係者や、妻と子どものためにネーム入りタオルをくれた妻の友人、高級メロンを届けてくれた僕と妻の共通の友人、家と事務所の冷凍庫に入りきらないほどの冷凍食品を提供してくれた僕の仕事仲間をはじめ、多くの人のあたたかさに励まされた。
ワンオペ育児に苦戦するうちに3軍男子に降格!?
我が家の救世主である義母を中心に、多くの人の支えによって2ヵ月半ほどがすぎ、僕の「ワンオペ育児」は非日常から日常に変わっていった。新しい生活に慣れてきたせいか、季節が夏から秋へと変わった頃には、何かとキレていた僕も少し落ち着きを取り戻す。
そして同時に、この頃には妻の状態もよくなっていた。10月11日にドクターと社会福祉士との面談で会った際には、車イスで現れたものの杖なしで立つことができ、少しだけ歩けるまでに回復。また、麻痺していた右手はちょっとしたモノをつまんだり、靴ひもを結んだりすることができるようになっていた。
「改造をすれば、クルマの運転も大丈夫そう」とドクター。その一言を聞いて、胸をなで下ろす。18歳のときに免許を取得以降、ほぼ運転経験がない筋金入りペーパードライバーの僕。実は今さらマイカーのハンドルを握るのが怖くてしかたがなかった。
妻からも周囲からも、「お前が運転しろよ!」という無言のプレッシャーを感じていただけに、ドクターからの一言はいろんな意味で神の声のようだった。
「ワンオペ育児」も、妻の状態も、少しずついい方向に進み、どん底だった状態から少しずつ抜け出している手応えを感じていた。
ところが、1年ぶりにWeb取材で画面越しに再会した、仕事仲間の一言にショックを受ける。
「この1年の間になにかありました?」「雰囲気が前と全然違うんで……」と言われてドキリとする。声色や雰囲気から、ネガティブな意味だということはわかったので、Web取材が終わった後にメールを送り、どうヤバくなったのかを聞いてみた。
「藻(も)?蔦(つた)?がからまりまくってるように見えた」「身動きできない中でもがいている」「1軍男子が急に3軍男子になったかんじ」とのこと。
まさか、そんな風に自分が変わって見えるとは思っていなかったので驚いた。余裕がない日々を過ごすうちに、きっと負のオーラが出てしまっていたのだろう。
リハビリに励む妻を見習って、少しでも早く「3軍男子から1軍男子」に戻れるよう、僕もますます「ワンオペ育児」を頑張らねばと改めて再確認したのだった。
<つづく>
※次回(#5)の記事公開は22年1月20日予定です(公開日までリンク無効)。
第5回(#5) 妻が倒れて4ヵ月! 戦力外パパ&子どもは大きく成長しママには回復の兆し!
第1回(#1) 突然妻が倒れて「子育て戦力外」から「ワンオペ育児」に!パパの絶望の1日
第2回(#2) 妻の脳出血から1ヵ月 子育て戦力外パパの「混乱ワンオペ育児」でゴミ屋敷に
第3回(#3) 妻の入院1ヵ月半「ワンオペ育児」の子育て戦力外パパが悪戦苦闘でキレまくり!
佐野 勝大
さのかつだい 1974年生まれ。ノンジャンルで仕事をこなす関西出身のフリーライター。年400本以上と、精力的に取材活動を行っている。年間の休日が10日前後と、ワークライフバランスがまったくとれていないことが悩み。2児の父だが、育児にほぼ参加しなかったため、長女が0歳の頃に妻から子育ての戦力外通告を受けた。
さのかつだい 1974年生まれ。ノンジャンルで仕事をこなす関西出身のフリーライター。年400本以上と、精力的に取材活動を行っている。年間の休日が10日前後と、ワークライフバランスがまったくとれていないことが悩み。2児の父だが、育児にほぼ参加しなかったため、長女が0歳の頃に妻から子育ての戦力外通告を受けた。