ママから「子育て戦力外」と通告され、まったくアテにされてこなかったフリーライターのパパ(46歳)。そんな2021年夏、ママが突然倒れた。それまで仕事ばかりで子育てに携わってこなかったパパの生活は一変し、急遽「ワンオペ育児」に取り組むことに……。
ママの入院から3ヵ月。悪戦苦闘の日々を過ごすパパを救ってくれたのは、家族や友人でした。
ママの入院をきっかけに、変わり始めたある家族の奮闘記。
第4回は「周囲のサポート編」です。(第1回#1、第2回#2、第3回#3を読む)
戦力外パパの家に出入りする女性の正体
妻が家にいなくなってから、ある女性と頻繁(ひんぱん)に連絡を取り合うようになった。
実は、妻が倒れたその日にソッコーで連絡。ありがちかもしれないが、それ以来、僕は妻とは別の女性と急速に距離を縮めていった。
その女性が足繁く我が家に訪れるようになるまでには、そう時間はかからなった。
気がつけば、食事の用意から洗い物、掃除、洗濯、小6の娘の塾や小4の息子のプールの送り迎えまで、「ワンオペ育児」を支えてくれる心強い存在に。妻が倒れた数日後には、その女性はもう僕たちの暮らしに溶け込んでいた。
まるで新しいお母さんができたみたいで、子どもたちも彼女が家にやってくると、とてもうれしそうだ。帰り際にはいつも、「次はいつ来るの?」と別れを惜しむようになった。
妻がいなくなった我が家の救世主となったのは、妻のママ、つまり「義母」。「ワンオペ育児」がスタートしてから、毎週2泊3日、ときには3泊4日のペースで通ってきてくれるようになったのだ。
妻の実家から我が家までは、クルマで90kmほどの距離がある。片道1時間45分以上ある道のりを毎週ハンドルを握り、大量の食材とともに登場。子どもたちだけでなく、僕自身も義母が来るのが待ち遠しくて仕方なかった。
子どもたちがどんなわがままを言っても、優しくこたえてくれる義母に、どこまで甘えるかは難しいところ。ただ、とにかく余裕がない僕は、100%以上甘えてしまっていた。
義母が子どもたちの朝食の用意を済ませ、学校へ送り出し、洗い物を終わらせ、洗濯物を干している8時すぎに、「おはようございます」と起床する僕。義母がいてくれる日だけは、妻が倒れる前と同じような生活を送ることができた。
義母の存在がありがたかったのは、家事や育児をサポートしてもらえるからだけではない。僕のなんちゃって料理やレトルトメニューと違い、食卓に並ぶ手料理の数々が、“我が家の味”を思い出させてくれたのだ。
義母が我が家に来てくれた日は、義母と娘は自宅で、僕と息子はワンフロア下にある仕事場で寝るようにしていた。
娘が学校のお泊まりイベントで家を空ける日があったのだが、「バアバとお父さんと3人で寝ようよぉ」と義母にねだる息子と、「それはダメなの」と何度もたしなめる義母……。なんとも気まずいシーンに遭遇してしまった僕は、聞こえないふりをしてやり過ごした。
義母が僕らの面倒を見てくれている間、当然、義父は一人で過ごすことになる。そのことが申し訳なくて仕方なかったが、「気にしなくていいのよ」と義母。
そして、毎週「俺のことはいいから、早く行ってやれ」と義父が快く義母を送り出してくれていたことを、ずいぶん後になってから僕は知った。二人には、感謝してもしきれない。