『黒魔女さんが通る!!』チョコが18歳に!作者・石崎洋司が「大学生編」に込めた想いと読者へ伝えたいこと

君に贈る「物語の処方箋」 (2/4) 1ページ目に戻る

病弱の子どものころに物語の楽しさに目覚める

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──どんな子ども時代でしたか。

石崎:
小学2年生くらいまでは、病弱で1年の3分の1ほどは学校を休んでいました。手術をしてようやく元気になりましたが、それまでは、熱を出して家で寝ていることが多かったのです。

そのころは、坪田譲二の『日本のむかし話』をずっと読んだりしていました。子ども向けにやさしく書かれた日本の民話がたくさん載っていて、大好きな本でした。

百科事典も引っ張り出して読みました。家に大人向けのオールカラーの百科事典と、子ども向けの学習百科事典があったのですが、百科事典は項目が短いのですぐ読み終わるのがいい。

学校の勉強に関係ないことでも、「そうなんだ」と思いながら読んでいるうち、知ることが楽しくなって、繰り返し開いていましたね。病気が治ってからは、体も丈夫になりスポーツ少年になったんですよ。

──読書に親しんだ子ども時代だったのですね。

石崎:
高校生のとき、学校帰りに書店で見つけた柳田國男の『遠野物語』に夢中になりました。物語の主人公は、「山の神」「天狗」「神女(みこ)」「雪女」「河童(かっぱ)」など、実在するのかしないのかわからないものたち。明治時代に大ベストセラーになった、岩手県遠野で昔から語り継がれてきた物語がたくさん綴られている本でした。

あのときは、ほんとうに不思議な感じでした。足が勝手に、その本が置かれていた書店の棚に向かっていったのです。その本を読んだときに、ぜったいに遠野にいきたい! と思うようになりました。

そして実際に何度も遠野に行き、レンタサイクルで民話を語ってくれる人に会いに行ったんです。家の中に牛や馬を飼っているような古い茅ぶきの農家で、着物を着た小さなちいさなおばあさんから、囲炉裏端でお話を聞くのです。

「素語り」という、方言で語ってくれる物語は、まるで自分が物語の中に迷い込んでいくように面白くて、繰り返し出かけては昔話を聞き集めていきました。

でも、そんなお話が聞けたのは、ぼくが最後くらいだろうと思います。語ってくれる人が亡くなって、だんだん少なくなっていきましたからね。

ともかく、民話への興味が昂じて、高校3年のころから大学にかけて、『ちいさいモモちゃん』で知られる児童文学作家の松谷みよ子さんのご自宅で行われていた、民話研究会に参加するようになりました。松谷さんは坪田譲二の直弟子だったのです。

松谷さんの家は、ぼくの家から自転車で10分ほどの近さでしたから、たびたび出かけて行きました。松谷さんがかわいがってくださったこともあり、大学に行くより、松谷さんの家にいる方が多かったくらいです。

出版社の方たちもよく来ていましたから、ぼくにとって出版業界は身近な存在になりました。

出版社をやめ、本格的に作家の道へ

──作家になるきっかけは何だったのでしょう。

石崎:
大学を卒業すると、ごく自然に出版社に就職しました。転職して予備校などで働きながら、好きな文芸評論でもやろうかな……、と考えていたとき、テニス中に脚をケガして、数日会社を休んだのです。

暇にまかせて子ども向けのファンタジーを書いていたところ、なんだか物語を書くのが面白くなってしまって、ケガが治ってからも書き続けていました。その作品を、当時お世話になっていた木暮正夫先生にお見せしたのです。

──アニメ『河童のクゥと夏休み』の原作「かっぱ大さわぎ」「かっぱびっくり旅」を書かれた作家ですね。クゥも岩手県遠野に河童を探しに行きますね。

石崎:
はい。先生が読んでくださり、「面白いよ。でも、作家になるには書き溜めなさい。一作で終わる作家にならないように」と言われました。

一方で、先生はぼくの知らない間に知り合いの編集者に作品を見せていて。おかげでその原稿は『ハデル聖戦記』として刊行がきまり、ぼくは作家デビューすることになったのです。

──それで出版社をやめて、本格的に作家になったのですね。日本の民話が、石崎さんを作家の道に導いてくれたのかもしれませんね。

外の世界に一歩を踏み出すのを応援する3冊

──今の時代に生きる読者へ贈る、石崎さんとっておきの作品を3冊教えてください!

石崎:
これからご紹介する3冊は、子どもはもちろん、大人にも読んでほしい物語ばかり。「外の世界に出てみよう」と思いたくなる本でもあります。

外の世界に一歩を踏み出すのを応援してくれる3冊
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