施設から養子になり16歳で天涯孤独に 歌手・川嶋あいがそれでも歌い続けられたワケとは

養子当事者・川嶋あい(シンガーソングライター)インタビュー【2/3】~養父母と周りの人たち~

シンガーソングライター:川嶋 あい

自分を見守ってくれる存在が親

その後、自身が養子であることを中学生のときに知ることに。大きすぎる愛を与え続けてくれた母親が生みの母ではないと知ったときには、思わず混乱し「どういうこと?」と母親を責めたこともありました。

しかし、それ以上に受けた愛に感謝する心が川嶋さんを支え続けました。

「母が生みの母じゃないと知って、心が壊れそうになって過ごしていた時期もありました。でも、母はそれまでと変わらずに私のことを見守って、想ってくれているということは強く感じていました。

だから、私はこれまで安心して生きてこられたんだって思えたら、血のつながりはさほど気にならなくなりました。

私にとっての親とは“どんなことがあっても見守ってくれている人”だと思っています。漢字の『親』という字のように、木の上に立って見てくれている人。どんなことがあっても、自分を見てくれている人です。

親というのは、ぜひそうであってほしいなってすごく思います」

母の厳しさは深い愛情からということは子ども心にもよく伝わっていたという。  写真:柏原力
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上京と路上ライブでの出会い

育ての母親と手を取り合って歌手を目指していた川嶋さん。母親の勧めもあり、高校からは歌手を目指すために、16歳で故郷の福岡を離れて上京しました。

「実は、あのころの我が家は父が亡くなり、経済的にかなり困窮し、母は体調も崩していました。私は福岡を離れたくなかったのですが、『あいが東京に行って歌手になるのが私の夢やけん。あいの歌を聴けるまでがんばるけん』と泣きながら話す母の姿を見て上京を決心しました」

しかし、その後、思うように歌手への道が開けず、東京で最初に所属した芸能事務所は辞めることに。

「一人の東京で、どうしたらいいのかもわからずに毎日泣いてばかりいました。でも、毎日かかってくる母からの電話では元気をよそおっていました。これ以上、心配をかけたくなかったし、母にとっては私が歌手になることが希望のすべてだったので」

そんななか、勇気を振り絞って始めた路上ライブから川嶋さんの運命が少しずつ動き始めます。

「事務所もやめて、オーディションもうまくいかない中でも、路上ライブなら自分の歌を届けることができるのだと知り、怖くて恥ずかしい思いを押しのけて勇気を出して歌い始めました。最初は誰も立ち止まってくれなくて、思わず我慢しきれずに母に電話で泣き言を言ってしまったこともありました。

でも、母は慰めるどころか、『こんなことでへこたれていたらダメだ!』とばかりに怒って(笑)。そんなふうに母にあと押しされながら路上ライブを1000回やり続ける決心をしました。『1000回やればスカウトしてもらえるんだ!』と信じていました」

路上ライブを続ける中で出会ったのが、今の所属事務所のスタッフたち。まだ、大学生だった彼らに「歌手になりたいの? 俺たちでよかったら協力するよ」と声をかけられたのがきっかけです。

この出会いが、シンガーソングライター・川嶋あいが誕生するきっかけとなるのですが、当時高校生だった彼女はそんなことはわかるはずもなく……。

「最初はなんか怖いな、怪しい! こんな人たちは信用しないぞ! って思っていました(笑)。でも、本当にひんぱんに声をかけてくれるようになって、私も少しずつ自分の夢などを話すようになって心を開いていきました」

16歳のころ。渋谷駅のハチ公前にて1000本を目指し、路上ライブをしていました。  提供:つばさレコーズ

16歳で母が急死し…

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