重度の知的障がいのある少女が主人公の小説『たぶんみんなは知らないこと』(福田隆浩・著)が、野間児童文芸賞を受賞。贈呈式が2022年12月16日に帝国ホテル(東京・千代田区)で行われた。
『たぶんみんなは知らないこと』は、重度の知的障がいのある少女・すずちゃんを主人公に、彼女の一人称(おはなしすることはできないので心の声)で物語が展開する、他に例を見ない作品。
作者の福田さんは、現在、長崎県の特別支援学校の教員であり、30年以上にわたって障がいのある子どもたちの教育にたずさわってきた。そんな福田さんだからこそ書けた一作だが、福田さん自身、ほとんどしゃべることのできない主人公の内なる言葉を紡ぐのは、とても覚悟のいることだったと話している。
この記事では、特別支援教育支援員も務める介護ジャーナリストの小山朝子さんが、自身の経験を交えつつ、受賞作を読み解きながら『たぶんみんなは知らないこと』とは何なのかに迫る。
【小山朝子(こやまあさこ)】介護ジャーナリスト。高齢者・障害者・児童のケアを行う全国の宅老所なども精力的に取材。著書に『世の中の扉 介護というお仕事』(2017年度厚生労働省社会保障審議会推薦児童福祉文化財に選出)など。ボランティアとして地域の小学校の特別支援教育支援員も担っている。
SDGsなんて絵空事に感じてしまう
自力で寝返りを打てない状態になった祖母を、10年ちかく自宅で介護した経験を持っています。介護を始めた当時、私は20代でした。祖母は自分の力で食事ができないため、胃に装着した管を通して栄養剤を入れたり、自分で痰が出せないため、吸引機で痰を吸引したり、つねにそばにいて祖母を見守り、介助をしてきました。
持病を持つ母の介助を、小学生の頃からしてきた私は、ヤングケアラーでした。そして、私が介護ジャーナリストになろうと決めたのは、祖母の介護がきっかけでした。
私は介護の現場を取材して伝えるだけではなく、東京都福祉サービス第三者評価者としても活動を始めました。この仕事の内容は、都内の介護施設や障がい者が働く作業所に出向き、どのようなサービスが提供されているかという調査を行い、報告書にまとめるというものです。
一方で、自分が住んでいる地域の民生委員として、近所に住む高齢者や障がい者の困りごとに応じるために奔走してきました。
あるとき、民生委員の仲間から、こんな相談が持ちかけられました。
「近所の小学校で特別支援教育支援員の成り手が見つからず困っている」
特別支援教育支援員とは、障がいを持つ児童・生徒の学校での生活(学習だけではなく、食事や排泄に至るまで)を介助したり、学習面においても教えたりするサポートスタッフのことを指します。こうした支援を、ボランティアで行っています。
民生委員の仲間は、市民が引き受けたがらないような地域のボランティアにも快く応じる人が比較的多いのですが、今回ばかりは手を挙げる人が誰もいませんでした。正直なところ、私もすぐに首を縦に振ることはできませんでした。
先にも書きましたが、第三者評価者として障がい者が働く生活介護の事業所を訪問した際には、利用者から頭を叩かれたりしたこともありましたから……。しかし、私はもともと難題に自ら飛び込み挑んでいく気質があり、指導員を引き受けることを決めたのでした。
世界的に「SDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)」というワードが注目され、「地球上の誰一人取り残さない」などと大々的に唱えられています。
しかし、私が暮らす身近な社会のなかでは、それが絵空事のように感じることがあります。民生委員や特別支援教育支援員の成り手がいないこともそのひとつでした。
「床に落ちたよだれ」と小学生の頃の記憶
支援員として活動をするなか、久しぶりに連絡を取った編集者から、「そうした支援をしているのであれば……」と一冊の本をすすめられました。それが、『たぶんみんなは知らないこと』(福田隆浩著、講談社刊)です。
学校教育の現場で、障がい者のサポートに当事者として関わっている私は、さっそくこの本を手にしました。
主人公は重度の知的障がいのある小学5年生の女の子、すずちゃんです。彼女は、自分の思いを言葉で伝えることができません。
私が最も印象に残ったのは、すずちゃんが通う特別支援学校の子どもたちが、近くの小学校で行われた交流会に参加し、他校の児童たちとともに活動をするシーンです。
ふたつの学校の児童たちが交流している教室で、すずちゃんの口から垂れたよだれがぽつんと教室の床に落ちてしまい、男の子がそれを指さして笑います。
この光景を見ていたすずちゃんの担任の教師は、その場にいた生徒たちにこう言います。
「みんなは、もっとソーゾーリョクをもちましょうね。」
障がいのある子が、いえ、障がいのあるなしにかかわらず、わざと垂らしたわけでもない「よだれ」のことをからかわれた人は、どんな気持ちがするでしょうね?
きっと、この先生はそんなことを伝えたかったのだと思うのですが、この鋭いリアルなシーンは、小学生だった頃の自分を思い起こさせました。
「なぜ、あのとき顔をしかめたのですか?」
私が通っていた小学校には、1年~6年までの教室がある校舎から離れた隅のエリアに、当時「特殊学級」と呼ばれる学級がありました。特殊学級では、発達障がいや肢体不自由のある生徒たちが学んでいました。
あるとき、担任の教師が、「運動会で使う道具は、特殊学級のお友だちも使うので、仲良く使ってください」というような話をしたのです。
そのとき私は、無意識に顔をしかめてしまったのでした。私の表情を見逃さなかった担任の教師から、後日手紙を受け取りました。その手紙には、こう書かれていました。
「なぜ、あのとき顔をしかめたのですか?」
何十年も前のことですが、今でもはっきりと記憶しているのは、その手紙が私を直接的にしかったり、諭したりするような内容ではなく、「なぜ?」と疑問形で書かれていたことです。
その疑問をずっと胸に秘めながら私は大人になり、今も悔いています。
当たり前の日常を生きているということ
そうは言っても、支援員として特別支援学級の生徒たちと関わっているときには、聖人のようになんて振る舞っていられません。
児童が遊具を出しっぱなしにしているときは睨みを利かせて注意をしますし、彼らと一緒になって校庭を走りまわることもあります。彼らは平気な顔をしているのに、私は息が上がってしまい、クタクタです。
授業の前に、昨日家でどんなことをしたかについて生徒が発表する時間がもうけられているのですが、食事の内容やゲームで遊んだことなどを、それぞれが報告してくれます。
当たり前のことですが、障がいを持つ子どもであろうと、一人ひとりが自分らしい毎日を過ごしているのです。
受賞作のタイトルに込められた意味とは……
怪獣やヒーローが登場するわけではないけれど、すずちゃんにとって、毎日の生活はドキドキ、ハラハラの冒険なのでしょう。
雨の日には、手に雨のつぶが「ぽつんぽつん」ってあたったり、「ぽつぽつっ」てあたったりするのが面白かったり、雪が降った日は運動場にサンダルの足あとがついて、足あとがおいかけてきてるみたいでわくわくしたり……。日々の暮らしのなかで、すずちゃんはさまざまな人と関わりながら、学び、成長していきます。
この本にはすずちゃんの母親と先生の連絡帳を介してのやりとりや、すずちゃんのお兄ちゃんが、障がい者のきょうだいを持つ本音をつづったブログも挟まれ、すずちゃんを取り巻く環境を立体的に描いています。
ときどき憎まれ口を叩くお兄ちゃんも、すずちゃんを支えながらアイデンティティを確立していきます。すずちゃんのお母さんもまた、親として、妻として、自分の生き方を模索し、ある選択をし、決断します。
タイトルの『たぶんみんなは知らないこと』という言葉から、広く知られていない特別支援学校、障がい者教育について、重度の知的障がいを持つ主人公が伝える物語ーーというとらえ方をされる人が多いかと思います。
もちろん、それもあると思いますが、私は、障がいのある人を支える人たちの姿や想いも、「知らないこと」に含まれているのではないかと想像します。
そして、もうひとつ。
自分の思いを言葉にすることはできないけれど、すずちゃんが毎日たくさんのおしゃべりをしていることも、みんなが「知らないこと」でしょう。そのことに読み手は気づかされ、ハッとさせられるはずです。
多くの人は、障がいがあって会話ができない彼らが、じつは饒舌におしゃべりをしていることを知らないし、気づかないと思います。耳を傾けることもないかもしれません。
けれどそのおしゃべりには、私たちが日常のなかで見過ごしている、きらきらした出来事がたくさん存在しているのです。
私自身、特別支援学級の生徒たちの心の言葉に耳を傾けられる大人でありたいと思い、日々彼らから学んでいます。
特別支援学校を舞台に、重度の知的障がいのある小五の女の子すずと、その兄、同級生、先生、周囲の人々の物語が、発語がスムーズに出来ないすずの心の声や兄のブログ、先生と親との連絡帳文面により綴られる。学校での障がいのある子ども同士の小さなもめ事、父とのお出かけ先での迷子騒動に、バスで他の乗客の髪飾りをさわってしまう等、小さなトラブルが絶えないが、人々の優しさやすずの真っ直ぐに生きる力で本人も周りも成長する。
福田隆浩(ふくだ たかひろ)1963年、佐賀県唐津市生まれ。兵庫教育大学大学院修了。2003年『この素晴らしき世界に生まれて』(小峰書店)で第2回日本児童文学者協会長編児童文学新人賞、2007年『熱風』(講談社)で第48回講談社児童文学新人賞佳作受賞。2012年『ひみつ』が第50回野間児童文芸賞最終候補作に、『ふたり』が2014年度青少年読書感想文全国コンクール課題図書に、『幽霊魚』が2016年度読書感想画中央コンクール指定図書に、『香菜とななつの秘密』(以上、講談社)が2018年度厚生労働省社会保障審議会推薦児童福祉文化財に選ばれる。その他、「おなべの妖精一家」シリーズ、『手紙 ─ふたりの奇跡─』(以上、講談社)などの作品がある。
小山朝子(こやまあさこ)20代から始めた洋画家の祖母の介護をきっかけに介護ジャーナリストとして活動を展開。その間、高齢者・障害者・児童のケアを行う全国の宅老所なども精力的に取材。2013年より東京都福祉サービス第三者評価認証評価者として、障害者を対象とした「生活介護」、「就労継続支援A型・B型事業所」などで調査・評価活動を多数行ってきた。著書『世の中の扉 介護というお仕事』(講談社)が2017年度厚生労働省社会保障審議会推薦児童福祉文化財に選ばれる。現在は執筆、講演、コメンテーターをするかたわら、ボランティアで地域の小学校の特別支援教育支援員も担っている。
小山 朝子
20代から始めた洋画家の祖母の介護をきっかけに介護ジャーナリストとして活動を展開。その間、高齢者・障害者・児童のケアを行う全国の宅老所なども精力的に取材。2013年より東京都福祉サービス第三者評価認証評価者として、障害者を対象とした「生活介護」、「就労継続支援A型・B型事業所」などで調査・評価活動を多数行ってきた。 著書『世の中の扉 介護というお仕事』(講談社)が2017年度厚生労働省社会保障審議会推薦児童福祉文化財に選ばれる。現在は執筆、講演、コメンテーターの傍ら、ボランティアとして地域の小学校の特別支援教育支援員も担っている。
20代から始めた洋画家の祖母の介護をきっかけに介護ジャーナリストとして活動を展開。その間、高齢者・障害者・児童のケアを行う全国の宅老所なども精力的に取材。2013年より東京都福祉サービス第三者評価認証評価者として、障害者を対象とした「生活介護」、「就労継続支援A型・B型事業所」などで調査・評価活動を多数行ってきた。 著書『世の中の扉 介護というお仕事』(講談社)が2017年度厚生労働省社会保障審議会推薦児童福祉文化財に選ばれる。現在は執筆、講演、コメンテーターの傍ら、ボランティアとして地域の小学校の特別支援教育支援員も担っている。
福田 隆浩
1963年、佐賀県唐津市生まれ。兵庫教育大学大学院修了。2003年『この素晴らしき世界に生まれて』(小峰書店)で第2回日本児童文学者協会長編児童文学新人賞、2007年『熱風』(講談社)で第48回講談社児童文学新人賞佳作受賞。2012年『ひみつ』が第50回野間児童文芸賞最終候補作に、『ふたり』が2014年度青少年読書感想文全国コンクール課題図書に、『幽霊魚』が2016年度読書感想画中央コンクール指定図書に、『香菜とななつの秘密』(以上、講談社)が2018年度厚生労働省社会保障審議会推薦児童福祉文化財に選ばれる。その他、「おなべの妖精一家」シリーズ、『手紙 ─ふたりの奇跡─』(以上、講談社)などの作品がある。
1963年、佐賀県唐津市生まれ。兵庫教育大学大学院修了。2003年『この素晴らしき世界に生まれて』(小峰書店)で第2回日本児童文学者協会長編児童文学新人賞、2007年『熱風』(講談社)で第48回講談社児童文学新人賞佳作受賞。2012年『ひみつ』が第50回野間児童文芸賞最終候補作に、『ふたり』が2014年度青少年読書感想文全国コンクール課題図書に、『幽霊魚』が2016年度読書感想画中央コンクール指定図書に、『香菜とななつの秘密』(以上、講談社)が2018年度厚生労働省社会保障審議会推薦児童福祉文化財に選ばれる。その他、「おなべの妖精一家」シリーズ、『手紙 ─ふたりの奇跡─』(以上、講談社)などの作品がある。