64歳から夜間中学に通って書いた「35年目のラブレター」 「いじめ」で小学校に行けず字が覚えられなかった男性の実話

2025年に映画公開 「学ぶのに遅すぎることはない」を現役で広める西畑保さん

作家:小倉 孝保

西畑保さん(左)と皎子さん。ほとんどケンカをしたことのない仲の良い夫婦だった
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スマホを手にした私たちは、一日にどれだけの文字量を目にしているのでしょう。

小さな画面上を飛び交う多くは文字を介したコミュニケーションですが、それをすることが、2024年に米寿となった西畑保さんにとっては当たり前ではありませんでした。

貧しさが原因で教師とクラスメートから差別的な扱いを受け、低学年のうちに小学校に通わなくなった西畑さん。

読み書きのできないまま社会に出て、言いしれぬ劣等感を抱えた西畑さんは、還暦を過ぎてから、夜間中学で「あいうえお」から読み書きを学びました。

すべては、こんな自分に寄り添ってくれた妻にラブレターを書きたい──という一心からです。

こちらが驚くほど明るく自らの経験を語る西畑さんの人生を、『35年目のラブレター』というノンフィクション書籍にまとめた毎日新聞論説委員の小倉孝保さんが、西畑さんの学びの軌跡とともに、夜間中学の広がりについてお伝えします

青春を人生の終わりにおいた男

〈もし私が神なら、青春を人生の終わりにおいただろう〉

1921年にノーベル文学賞を受賞した仏詩人アナトール・フランスの言葉である。

米寿を迎えた西畑保さんは、この言葉の実践者といえる。

「毎日が楽しいです。夜間中学ですっかり人生が変わりました」

読み書きできなかった西畑さんが、奈良市立春日中学校夜間学級(夜間中学)に入ったのは64歳のときだ。支えてくれた妻、皎子(きょうこ)さんに、ラブレターを書くためだった。

1936(昭和11)年、和歌山県の山間部に生まれた。家族は極度に貧しく、子どものころ、白いご飯を食べた記憶がない。国民学校に入学するも、教師や級友に貧乏をからかわれ、仲間外れにされた。2年生になってすぐ、カネを盗もうとしていると疑われ、いじめに遭って学校に行けなくなった。

「カタカナとひらがなは勉強したように思うんやけど、身についてなかったんやね。すっかり忘れてしまいました」

公教育を受けられず、自分の名前すら書けないまま育った。

大阪や奈良の食堂で板前として働いても苦労の連続だ。注文がメモできず、先輩に怒られる。

出前のためバイクの免許が必要になっても、試験問題が読めない。

「我慢してでも、学校に行っといたらよかったと悔やみました」

枕をぬらしたのも一度や二度ではない。

寿司屋で働いている時代の若き日の西畑さん(西畑保さん提供)

つらさを救ってくれた妻の言葉

西畑さん、35歳のときに見合い話が持ち込まれる。

「嫁はんなんて来てくれるはずがない」と思いながら、会ってみると素晴らしく美しい女性だった。
岡山県出身の皎子さんである。

相手も気に入ってくれたようで、結婚にこぎ着ける。

西畑保さん(左)と皎子さんの結婚写真(書籍『35年目のラブレター』より)

しかし、西畑さんは落ち着かなかった。妻に読み書きできないのを打ち明けていなかったのだ。

ある夜、回覧板への署名を求められ、ばれてしまう。離婚を覚悟したとき、救ってくれたのが皎子さんの言葉だ。

「つらかったやろな。何で言うてくれへんかったん。もう、苦しまんといてね」

以来、役所や金融機関で署名が必要になると妻が付き添い、年賀状も連名で出してくれた。

「学べない」という気持ちを変えたもの

日本社会は読み書きできるのを前提になりたっている。書けなくては選挙権の行使も難しい。

「字が読めないと、一人前の人間とは認められへんのです」

娘2人を授かり、家族仲良く暮らしていても、いつも頭のどこかに「読み書き」が居座った。それでも字を学ぶ気にはなれなかった。

「何でやろね。はなから無理やとあきらめていたからね。読み書きできるようになるはずはないと」

勉強は若いときにしておくべきで、働き始めてからでは学べない。だから自分は一人前にはなれない。そんな気持ちを変えてくれたのは、年を経て学ぶ人たちの笑顔だった。

夜間中学との出会い

西畑さんは翌年に定年を控えた1999(平成11)年、学校から出てきたばかりの年配女性たちに出会った。楽しそうに会話している様子に興味を持ち、声をかけた。

「おばちゃん、いつも楽しそうやな」

「毎日、楽しいで」

「ここで何してんの?」

「勉強してんのんやで」

「何の勉強やの?」

「学校の勉強やんか。ここは学校やで」

「学校って? 誰でも行けるの?」

「夜間中学っていうてな、うちらみたいに年とったもんでも行けんのや」

「字が読めんでもええんか」

「もちろんや。『あいうえお』から勉強できる。字ぃ知らんでも、先生がちゃんと教えてくれはる」

大きな月の見える夜の3文字

奈良市立春日中学の夜間学級で学んでいる西畑さん(西畑保さん提供)

自分にも読み書きできるかもしれない。妻にラブレターを渡すのも不可能ではないのだ。

行動は早かった。一念発起して入学したのは翌年の4月である。皎子さんは鉛筆を1ダース、プレゼントしてくれた。

いつも授業が始まる1時間前に学校に行き、ひらがな、カタカナを書き続けた。そして、1年ほどしたとき、自分の名を書けるようになった。授業を終えて、校舎を出ると大きな月が浮かんでいた。普段に増して晴れやかな気持ちになった。

胸を張って帰り、妻に報告する。

「きょうな、プリント見んでも名前が書けたわ」

妻は笑みを浮かべた。「ほんま? 書いて、書いて」

西畑さんは座卓にノートを広げた。右手でしっかり鉛筆を持ち、ゆっくり動かした。

皎子さんが鉛筆の先を見つめている。縦、横の線が形になって現れてくる。

「西」「畑」「保」

3文字が並んだ。

「ちゃんと書けてるわ。すごいな。お父ちゃん、ほんまにすごいわ。よう頑張ったね」

妻は自分のことのように喜んでくれた。

今では「愛」という漢字も書けるように(書籍『35年目のラブレター』より)

社会的混乱の最中に設置された夜間中学

日本は敗戦から2年後の1947(昭和22)年5月3日、新しい憲法(日本国憲法)を施行した。

その26条1項はこう定めている。

「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」

さらに憲法よりも早く施行された旧教育基本法は第4条で、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位または門地によって、教育上差別されない」としていた。

戦前戦中を生きた人々の中には、貧困や社会的混乱のため学校教育を受けられない人は少なくなかった。歴史的、社会的、経済的な事情から義務教育を受けられなかった人たちの権利を、改めて保障しようと設置されたのが夜間中学だ。

「学ぶのに遅いということはありません」

1947年10月に大阪市立生野第二中学校(現・大阪市立勝山中学校)に「夕間学級」が設置されたのを振り出しに、横浜や神戸に夜間学級が開設され、全国に広がっていく。

市民が「運動」によって勝ち取った制度だった。

西畑さんが通った奈良市立春日中学校に夜間学級ができたのは、1978(昭和53)年である。

西畑さんは入学後、字を学ぶとともに、夜間中学の実情を知ってもらう運動にも参加してきた。修学旅行を認めてもらうため、街頭で署名活動もした。

最近では、生徒にアジアや南米からの移民も多い。政府も夜間中学の意義を認めた。

2016(平成28)年には義務教育機会確保法が成立し、各都道府県・指定都市に少なくとも1校は、夜間中学が設置されることになった。

現在31都道府県・指定都市で53校が設置され、来年4月には名古屋市、滋賀、石川、三重などの各県で開設される。

西畑さんは入学から7年後、人生初のラブレターを書き上げた。受け取った皎子さんは「間違っているところがあったよ」と言いながらも、目をうるませた。

西畑さんが皎子さんに宛てて書いたラブレター

皎子さんが2014(平成26)年に急逝した後も、西畑さんは通学を続け、新型コロナウイルス感染が広まった2020(令和2)年3月、無事卒業した。

西畑さんにとって人生の転機は、結婚と夜間中学への入学だった。

「学ぶのに遅いということはありません。僕自身がそれを証明しています。学校に行くと友だちが増えるし、面白い人に会えます。普通の人より少し遅くなったけど、入学できて幸せです」

西畑さんは今も各地を巡り、学ぶことの面白さを説いて回っている。

書籍『35年目のラブレター』(小倉孝保:著)

【イベント情報】
2024年6月15日(土)15時から、大阪のMARUZEN&ジュンク堂書店梅田店にて西畑保さん、そして『35年目のラブレター』の著者である小倉孝保さんのトークイベントがリアル&リモート配信で行われます。詳細はこちらよりご覧ください。(MARUZEN&ジュンク堂書店梅田店のウェブサイトへ遷移します)


【映画情報】
『35年目のラブレター』 2025年3月7日、全国劇場公開(出演/笑福亭鶴瓶、原田知世 他 監督・脚本/塚本連平) 公式Xはこちら

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おぐら たかやす

小倉 孝保

Takayasu Ogura
ノンフィクション作家

滋賀県生まれ。1988年、毎日新聞社に入社。カイロ支局長、ニューヨーク支局長、欧州総局長、外信部長を経て論説委員。『柔の恩人「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小学館)で、小学館ノンフィクション大賞(2011年)、ミズノスポーツライター賞最優秀賞(2012年)をダブル受賞。2014年、乳がんの予防切除に道を開いた女性を追ったルポで日本人として初めて英外国特派員協会賞受賞。他の著書に、『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』(KADOKAWA)、『踊る菩薩 ストリッパー・一条さゆりとその時代』(講談社)などがある。

滋賀県生まれ。1988年、毎日新聞社に入社。カイロ支局長、ニューヨーク支局長、欧州総局長、外信部長を経て論説委員。『柔の恩人「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小学館)で、小学館ノンフィクション大賞(2011年)、ミズノスポーツライター賞最優秀賞(2012年)をダブル受賞。2014年、乳がんの予防切除に道を開いた女性を追ったルポで日本人として初めて英外国特派員協会賞受賞。他の著書に、『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』(KADOKAWA)、『踊る菩薩 ストリッパー・一条さゆりとその時代』(講談社)などがある。