施設から養子になったシンガー川嶋あい「真実告知はショック でも絶対乗り越えられる」

養子当事者・川嶋あい(シンガーソングライター)インタビュー【1/3】~養子と真実告知~

シンガーソングライター:川嶋 あい

自分が育った児童養護施設でのライブのあとに

川嶋あいさんが自らの生い立ちを公表することを決意したのは、17歳のとき。自分が3歳まで育った児童養護施設で行ったライブからの帰り道のことでした。

「施設の子どもたちは私の歌をキラキラした瞳で聞いてくれていたんです。その姿にいつのまにか、施設で過ごしていたころの自分を投影させていました。そして、同時にこの子たちはこれからどんなふうに自分の道のりを歩んでいくのだろうと思いました。

この先、この子たちが進んでいく道にはきちんと見守ってくれる大人の存在が絶対に必要だと強く感じ、この子たちを守るために養子や里親といった家庭養護をもっと広げていかなければいけない! そのために自分ができることはなんだろうと考えました。

そして、養子当事者である私が声をあげることで、誰かの心が何か1ミリでも動いて良い方向に進んでいくことがあるのなら公表しようと決心しました」

どのような経緯で養子となったのでしょうか。

「私は、生みの母が病弱で養育することができなかったため、生後間もなく乳児院に預けられたそうです。その後児童養護施設での生活を経て、3歳のときに養父母のもとに引き取られました。

育ての親にあたる父も母も、あふれるほどの愛を注いでくれました。母は私が音楽に出会うきっかけを与えてくれ、私が歌手になることを心から応援してくれていました。

父は私が10歳のときに病気で亡くなってしまったのですが、生前はいつも遊んでくれる本当に優しい人でした」

養親に引き取られて間もない4歳のころの川嶋さん。  提供:つばさレコーズ
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真実を知るも変わらない母に救われた

川嶋さんが養子であると知ったのは、育ての母親と2人で暮らすようになった12歳のとき。偶然に出生にまつわる書類を目にしてしまったことで、真実を知ることに。

「子どもながら、養父母に顔が似ていないなと思ったことはありましたが、実子でないと疑ったことは全くありませんでした。

母に頼まれて家の金庫を開けたときに、偶然、出生に関する書類を見つけたんです。実母の欄には母とは違う人の名前と生年月日があり、中学生だった私は瞬間的に養子縁組の書類であるとわかりました。

思わず、書類を握りしめたまますぐ母を問い詰めました。信じられない気持ちと怖さや不安などが一気に押し寄せたような感覚でしたね。そんな私に母は、施設での出会いや養子縁組のことについて話してくれました。

そして、血がつながった親子ではないけれど『あいはお母さんの本当の娘やけんね』とやさしく言ってくれたことは今でもはっきりと覚えています」

その翌日、母親はいつもと何も変わらない態度で接してきたといいます。

「母はもともと豪快・豪傑な性格の人だったのですが、翌日にはいつもどおりの明るい母がいました。まるで、昨日のことはなかったかのように、これまでと同じ日常が始まりました。

でも、今思えばそんな母の態度に、あのときの私は救われたのかもしれません。心のなかではもちろんいろんな葛藤がありましたけど、真実を知った直後の私はこれ以上いろんなことを知るのが怖かった、知ることで悩みたくなかったというのが正直な気持ちでした。

でも、やっぱり真実を知ってから1年間くらいはふとした瞬間に聞いてみようかな? やっぱりやめようかな? と考えたこともありましたが、結局、そのとき以来、一度も母と養子縁組に関して話すことはありませんでした。母は私が16歳のときに亡くなってしまったので、今ではもう話をすることも叶いませんね」

川嶋さんに尋ねた 「真実告知」何歳でも乗り越えられますか?

「母からは本当に愛情をもらった」と話す川嶋さんからは親子の深い絆が伝わってきた。  写真:柏原力
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