
我が子の不登校から「おかんラッパー」になって呂布カルマも絶賛! パトカー3回保護の“やんちゃ息子”から母が学んだこと
#1おかんラッパー「マイクラおかん」に学ぶママの輝き方~育児書どおりにいかない息子との日々~
2025.08.27
おかんラッパー「マイクラおかん」:下崎 真世
ギャングの街で「いい子」を演じていた
「実際にピストルの鳴り響く音を聞いたことがあります」(下崎さん)
東大阪市出身の下崎真世さんは、生まれ育った街を「ギャングの街そのものだった」と表現します。父親はバーやラブホテルを経営しており、その道の"プロ"の人々が自宅に出入りすることもあったといいます。
父が母に手をあげる日々が続き、家庭は常に緊張状態で、「子どもながらに“鎹(かすがい)”でいなければ」と感じていました。自己主張を抑え、“いい子”でいることに必死だったと振り返ります。
「今、ラップで自分の気持ちを言葉にできているのが本当に不思議なんです。当時は何も言えなかったから」(下崎さん)
現在の活動の根っこには、そんな子ども時代の“言葉の封印”があるのかもしれません。面倒見がよく、中学生のころにはすでに友人から「おかん」と呼ばれていた下崎さん。しかしそれは、“誰かの役に立たないと自分には価値がない”という、低い自己肯定感の裏返しでもありました。
28歳で結婚し、義父の余命宣告をきっかけに妊娠を急ぎましたが、うまくいかず10年間の不妊治療を経て38歳で長男を出産。夫の転勤の都合で、出産は東京都港区で迎えました。
「港区では、フラッシュカード(乳幼児に絵や文字を高速で見せる学習方法)などを使って早期教育をしているようなママたちばかりでびっくりしました。
自分の子どもが周りと少し違うことに戸惑いながらも“理想の育児”に合わせようと努力しましたが、結局ついていけなくなってしまいましたね」(下崎さん)


保育園から何度も脱走! 育児書どおりじゃない子育て
下崎さんの息子は、動き始めた1歳半ころから「高い場所」が大好き。電柱や標識などにすぐによじ登ったり、8階の住まいのベランダから飛び降りそうになったこともあったといいます。
「会社勤めだったため、0歳から保育園に預けたんですが、園からもよく脱走していました。裸足で表参道を爆走し、パトカーに3回保護されました」(下崎さん)
周囲との価値観の違いもあり、孤独な子育てだったと言います。息子に合った育て方を模索していた下崎さんは、保育園を退園。その後、東京・代々木公園で、親が交代で子どもたちを見守る「自主保育」に参加しました。
「子育て、ずっとうまくいってないって思っていました。息子は、周りの子と違うし、育児書を読んでも全く当てはまらない。息子に寄り添っているつもりが、全部裏目に出ているようで……。ずっと模索していましたね」(下崎さん)
自然の中で子育てを──そう願って神奈川県逗子市に引っ越し、子どもに良かれと週末にはよくキャンプに連れていきましたが、当の息子は完全にインドア派でした。「やりすぎたよね」と笑います。

逗子では幼稚園に通い、2020年4月に小学校に入学。引っ越し時には、「息子の性格から、小学校が遠いときっと行かないと言うだろう」と、通学距離を重視して学校に近い家を決めましたが、「問題は距離じゃなかった」と再び笑います。自分の価値観を押し付けていたことに、あとから気づかされる日々でした。