
施設から養子になり16歳で天涯孤独に 歌手・川嶋あいがそれでも歌い続けられたワケとは
養子当事者・川嶋あい(シンガーソングライター)インタビュー【2/3】~養父母と周りの人たち~
2025.04.03
シンガーソングライター:川嶋 あい
養母が導いた「音楽」との出会い
生みの母が病弱で子育てができず、生後まもなく乳児院に預けられ、その後児童養護施設で3歳まで過ごした川嶋さん。今でも、養護施設で養父母と出会った記憶は鮮明に覚えていると言います。
「あのころの私は、養父母のことを本当の親だと思っていました。だから、施設に遊びに来てくれるととってもうれしかったし、2人が帰るときには、どうして自分を連れて帰ってくれないのだろうと不思議に思っていました。
そのあと3歳で川島家に引き取られたのですが、そのころの私は家でいつも『施設に帰りたい』と泣いていたそうです」
突然の環境の変化についていくことができなかった3歳の川嶋さんを見て、育ての母はどうすれば彼女の心を癒やせるかを考え、その手段のひとつとして音楽教室へ通わせました。
「子ども向けの音楽教室に連れていったら、それまで何をさせても泣いていた私が笑顔で歌っていたみたいなんです。それを見た母は『この子には音楽しかない!』と思ったらしくそこから私の音楽人生がスタートしましたね。
私自身は、童謡を歌ったり、ダンスをしたりするのもとても楽しかったんですけど、それ以上に教室の先生が大好きだったんです。だから、先生に会えると思って楽しく通っていたことは覚えていますね。
そして、だんだんとレッスンが本格的になっていって、演歌を歌うようになって、しばらくしてから着物姿で初舞台に立ちました」

病床で歌を聞き続けた父
着物姿で初舞台に立つ川嶋さんの姿をみて、父母は対照的な反応を見せたという。
「母は、とても喜んでくれました。父はもちろん喜んでくれてはいたのですが、それ以上に娘が舞台に立って歌っていることが怖くて仕方がなかったようです。『自分のほうがドキドキしてしまって、見ていられん!』って話していました(笑)。
そのあと、発表会やコンクールにも出場していたのですが、父が観に来てくれたことはありませんでした。でも、私が10歳のときに父は病気になって入院してしまいました。それからは、病室で私の歌っているデモテープをずっと聞いて『うまくなったな』と言ってくれていたみたいです」
10歳で父親を亡くしたあとは、母親はますます川嶋さんの音楽活動をサポートするようになりました。しかし、小学生にはその愛情は重くのしかかることもあり……。
「一度、小学6年生のときにプチ家出をしました(笑)。大会に出ても賞を取れない。自分よりも才能がある子はたくさんいるとわかっていて……。
でも母は変わらずに全力で激しいくらいに応援してくる。もう何もかも嫌になってしまって、最初に通った音楽教室の先生のところに逃げ込みました。
そのときに、先生から母がどれだけ私のことを心から応援してくれているか、歌手になる姿を見ることを生きがいにしているか、ということを聞きました。それで落ち着きを取り戻せて、また音楽を頑張ってみようと思えたんです」

