ムーミン谷に住む、さまざまな登場人物たちにちなんだお料理を紹介する『ムーミン谷のしあわせレシピ』。その翻訳者末延弘子さんが、フィンランドで過ごした日々の思い出と共に、本の中からとっておきのレシピをご紹介します。作るときはフィンランド人のように、細かいことは気にせずに自分らしく挑戦することが大切だそうですよ。
フィンランドの首都ヘルシンキにある文学協会に勤めていたころ、私はフィンランド文学情報センターへ配属され、フィンランド文学を海外へ広めるお手伝いをしていた。
センターの所長は、よく笑い、よくしゃべり、いろんなことに明るい女性だった。
所長は私のことを「ちびのヒロコ」と呼び、顔をあわせれば「あなたは小さいから、もっと食べてもっと大きくなりなさい」と言った。
私はもう成人していたし、よく食べてもいた(ちびのミイもよく食べる。豆を4粒も食べるが大きくはならない)。日本人女性としては平均的な身長の私は、フィンランドではとても小さく感じた。自分に合う服を探して行き着くのは子ども服売り場だし、職場の電気のスイッチは手を伸ばさないと届かない。
同僚たちは私の頭上で、なおかつ早口で会話をするので、間にうまく入っていけない。そんな私を見かねた所長が、部屋の隅にあるモンステラの大きな葉をちぎって、私に手渡した。
「発言したいときはこれを高く揚げるように」
所長はお茶目な人であった。
私は新入りだったので、翻訳する作業のほかに、蔵書の整理をしたり、電話を一番にとったり、お客さまや同僚にコーヒーを淹れたりしていた。
「お客さま用はこっちの普通のモカを、私たちにはこっちをお願い」
そう言って見せられたのは、その当時、おしゃれなコーヒーとしてにわかに人気が出はじめた、深煎りのフレンチローストやエスプレッソだった(今は、産地や焙煎にもっとこだわるようになり、種類も増えた)。普通のモカというのは、フィンランド人が日常的に飲んでいる浅煎りの薄いもので、深煎りは特別なときに飲む贅沢なものだった。
フィンランド人はコーヒー好きが多い(フィンランドではコーヒー好きを「コーヒーの歯」という。お茶好きの友人が、コーヒーばかり勧められ気まずい思いをする、と言っていた)。労働法でも、職場でのコーヒー休憩が定められているほどだ。一日に4-5杯は飲む。おやつ付きのブラックで。家庭でも、職場でも、コーヒー休憩が親密な時間と良好な関係を作るのだろう。
いちばん労ってあげたいのはスタッフだから、と所長は言う。そんなわけで、特別なコーヒーと美味しいおやつを調達するのも、私の仕事になった。
みんなの人気おやつTOP3は、チョコレート(個別包装のミルクかダーク)、ココアクッキー(バニラクリーム入り)、ティースプーンクッキー(ラズベリージャム入り)である。なかでも、ティースプーンクッキーの愛らしい形に目を奪われた。スプーンの凹んだ部分で型をとり、2枚の平らな部分にジャムを塗って一つに合わせる。できあがった形は、貝殻のように美しい。昔、母とはまぐりの貝殻で貝合わせをしたときのことを思い出した。
スタッフは5名の精鋭部隊だったので、一人が複数の仕事をかけ持ちしていた。エネルギーをかなり消費するため、コーヒー休憩までお腹が持たない。彼女たちはふらふらとおやつ戸棚の前までやってきては、一つ、また一つと口に入れてデスクに戻っていく。休憩が終わって、カップやお皿を片づけるのも私の仕事なのだが、所長はみずから流しまで持ってきた。
「あのね、ヒロコ。フィンランドの女性は、いつも“ついでに”なにかを済ませるのよ」
ついでになにかを持ってきて、ついでになにかを持っていく。権威を笠に着ず、みずから手本を示しながら、所長は目を通した新着訳書をついでに持ってきて(それを私が書誌データベースに入力する)、ついでに会話を交わし、ついでにクッキーを1枚持っていった。コミュニケーションと業務効率化の第一歩は、「ついでに」の美学から生まれるのかもしれない。
帰国後、驚くべきことに、私の身長は1センチ伸びていた! 背筋を伸ばして本を整理し、手を伸ばして電気のスイッチをつけ、モンステラを高く揚げて会話に加わったおかげだろうか。楽しく仕事ができたうえ、ついでに背まで伸びていた。
☆
今日のしあわせレシピは『おばあちゃんのティースプーンクッキー』。砂糖を控えめにしたので、粉を分量より多く使いました。生地が鍋から離れてまとまるまで、粉を足すといいですよ(スプーンで生地がさくっとすくえるくらい)。私は無糖の黒すぐりスプレッドを間に挟みました。
ISOÄIDIN LUSIKKALEIVÄT
おばあちゃんのティースプーンクッキー
材料
バター……200g
砂糖……150cc
バニラシュガー……小さじ2
小麦粉……450cc
重曹……小さじ1
フィリング
マーマレードもしくはレモンカード などのペースト……適量
仕上げ用
グラニュー糖……適量
作り方
1. バターをステンレス鍋に入れて火にかけ、溶かす。煮たったら中火にして、ほんのり赤みがかった色がつくまで、混ぜながら10ー15分煮る。
2. 鍋を火からおろし、砂糖とバニラシュガーを入れて混ぜる。粗熱をとる。
3. ふるった小麦粉と重曹を加えて、よく混ぜる。
4. ティースプーンのつぼ(凹んだ部分)に生地をぎゅっと押しつけ、平らにならす。残りの生地もおなじようにスプーンで型を取る。
5. 平らにならした面を下にして、175℃のオーブンできつね色になるまで10ー12分ほど焼く。
6. 焼きあがったら冷ます。2枚のクッキーの平らな面にマーマレードかレモンカードを塗り、きゅっと押しはさむ。最後にグラニュー糖をまぶしたら、できあがり。
レモンカードとは:レモン汁を、卵や砂糖やバターで固めたペースト状のクリームです。
末延 弘子
東海大学文学部北欧文学科卒業。フィンランド国立タンペレ大学フィンランド文学専攻修士課程修了。白百合女子大学非常勤講師。『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』『ムーミン谷のしあわせレシピ』など、フィンランド現代文学、児童書の訳書多数。2007年度フィンランド政府外国人翻訳家賞受賞。
東海大学文学部北欧文学科卒業。フィンランド国立タンペレ大学フィンランド文学専攻修士課程修了。白百合女子大学非常勤講師。『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』『ムーミン谷のしあわせレシピ』など、フィンランド現代文学、児童書の訳書多数。2007年度フィンランド政府外国人翻訳家賞受賞。