表面上は収まっても、不安は消えなかった
保護者同士でも連絡を取り合い、動画を撮った生徒やグループLINEに動画を共有した生徒の親御さんからは息子に対する謝罪の言葉を受けました。
「うちの子もその場にいましたし、お互い様ですしね」
「大きなトラブルになる前でよかったと思って、今回のことを教訓にしましょう」
そんなやり取りの中で、ひとまず事態は収まったように見えました。実際のところ、息子もその場にいてふざけていたので、完全な被害者というわけでもありません。ですから、相手だけを一方的に責める気持ちにも、どうしてもなれませんでした。
それでも、どこか割り切れない思いが残ったのも事実です。
謝ってもらったからといって、「もう大丈夫」とは思えませんでした。あの動画を誰かが保存したままだったらどうしよう。もしまた誰かがSNSに流してしまったら……。不安は、時間がたっても簡単には消えませんでした。
しかし、トラブルのあとにSNS関連のニュースがテレビで流れるたび、息子は以前とは少し違う表情を見せるようになりました。
「あのとき止めてもらえてよかったんだな」
ぼそりとこぼした言葉を聞いて、あの日の出来事は、決して無駄ではなかったのかもしれないと、私はようやく少しだけ救われた気がしました。
一連の騒動は、わが家にとって「いつものノリ」を見直すきっかけになりました。
親が言葉にして伝えていく必要性
今回の件で私が一番怖かったのは、子どもたちが「何が危険なのか」をまだ十分にわかっていなかったことでした。
「ただの悪ノリ」「男子ならよくある」そんな感覚のままでも、今はその場のノリがその場だけで終わりません。スマホで簡単に撮影され、ネットに共有され、思いもよらない形で広がってしまうことがあるのです。
だからこそ大事なのは、何かが起きてから強く𠮟ることよりも、普段から「何が危ないのか」「どこからが人を傷つけてしまうラインなのか」を、言葉にして伝えていくことなのだと思います。
今回のことを通して、私自身が強く感じたのは、自分の体も友だちの体も「笑いのネタ」にしてはいけないという「当たり前の感覚」を、もっと伝えておくべきだったということでした。
たとえ本人が笑っていたとしても、下着姿を撮ること、映像に残すこと、誰かに送ることやネットに投稿することは、まったく別の問題です。
「みんなが笑っていたから大丈夫」ではなく、「相手の体を勝手に撮らない、映像に残さない、拡散させない」。そんな線引きを、親の側が先に伝えておかなければいけなかったのだと、今になって痛感しています。
そしてそれは、学校や社会任せにするのではなく、やはり家庭の中で少しずつ伝えていくものなのだとも感じています。
「中学生なら、このくらい自分で判断できるはず」どこかでそう思い込んでいたことも、私自身の反省です。
同じような怖さを、ほかの親子には味わってほしくありません。
今回の出来事が、動画やSNSとの付き合い方について、家庭で一度立ち止まって話してみるきっかけになれば嬉しいです。
文・橘サチ

















































































