長谷川あかり「料理家になる片鱗なんて一ミリもなかった」

【大人気連載復活】わたしが子どもだったころSeason2:Vol4.長谷川あかりさん (2/3) 1ページ目に戻る

結婚のドサクサに紛れて仕事を辞め、栄養の勉強を開始

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そんな経緯でタレントとして活動することになった私ですが、例によって、やると決めた以上は売れないままやめられないと、また妙なガッツに縛られてしまって。でもオーディションを受けても受けても受からない。高校生のころ、受からなすぎてツラくて、そこで料理を始めたんです。芸能界って、こうすれば上手くいくという正解がない世界。

そんな中、料理はレシピに書かれているとおりに作ればちゃんと美味しいものができる。しかも親も友達も褒めてくれる。自分は何も生み出せていないと思っていたのが一転、「私、天才かも!」となって、楽しくて。『暮しの手帖』から『天然生活』、栗原はるみさんの本まで、あらゆるレシピを端から端まで作っていく、という日々でした。ただこのときもまだ、ただのレシピオタクで、やはり料理家になりたいなんて一ミリも思っていなかったですね。
転機は結婚したとき。これで「あきらめた」と思われずに仕事を辞められる、と思ったんです。人生の大きな決断を2つ同時にすることで、印象が薄れるなと(笑)。

でもまだ22歳。「若くないか?」と思って、大学に行って何か学ぼうと考えました。そのとき興味があったのが料理だったので、「なら栄養学かな」と進学して、最終的に管理栄養士の資格を取得。そこから少しずつ、今度は料理家として活動するようになったんです。

特別な食卓ではないけど楽しかった

私が料理をするようになったのは、子ども時代の食卓が影響しているかと聞かれると、正直何とも言えません。というのも、我が家の食卓は本当に普通だったんです。肉じゃがやお味噌汁、ほっけの焼いたの、みたいな……。

ただオリジナリティはあったかな、と。我が家は誰かが風邪を引いたらいつも餃子だったのですが、なぜか母は鶏ひき肉を使っていて。青じそとかショウガとか一般的ではない具が入っていたし、野菜も塩ゆでせずにそのままくるんで片栗粉をつけて焼いていた。私はこれが大好きで、今も私の餃子はこのレシピです。
一方、週末は父が料理をしていたんですけど、父はレシピを見ていろいろ挑戦するのが好きでした。チーズダッカルビとか普段とは違うものを作ったり、フランベとかやってみたり。食材を買いに行くのも好きで、よくカルディとか行って珍しいものを試していたのですが、一度、面白そうな缶詰だと思って買ってきたものがキャットフードだった、なんてこともありました(笑)。
週に一度は鍋とかホットプレートを囲んでいたし、酒飲みの父はよくスルメを炙っていて、それを欲しがればもらえて。そういう環境が今につながったのかは分かりませんが、とにかく食にまつわる時間が楽しかったです。そういえば我が家は食卓に調味料が出しっぱなしで。だから私はいつも勝手にかけて味変していました。そういったすべての環境が今、私に変わったレシピのアイディアを思いつかせてくれるようになったのかもしれないですね。
やる気があると錯覚させるレシピ、を生み出したい
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