
不登校〜定時制夜間高校〜公立大医学部へ コンプレックスが「希少価値な存在」に変わった「浪人時代」
不登校から小児精神科医を目指すまで 母親インタビュー第4回「親の手放しと医学部受験」/全6回 (3/4) 1ページ目に戻る
2026.08.02
教育ジャーナリスト:おおたとしまさ
孝子:クラスメイトに、親から暴力を受けている子、定時制に通っているのに「そんなところ意味ないから働きに行け」と親に辞めさせられる子、離婚していてお父さんと暮らしているけれどお父さんが仕事でほとんど家にいないから一人で暮らしている子。
ネグレクトに近い環境や、ヤングケアラーの状況の子が、結構いたんです。俊徳にとっては初めての環境で、すごくショックを受けて、それを私にもたくさん話してくれました。それで、困っている子どもたちのための居場所を作る、と言い出しました。
「大人は“子どものために”っていろいろ言うけど、子どもには全然届いていないんだよ」と。「大人が作る居場所より、子どもが子どものために作る居場所のほうがいいんじゃないか」と。
それで、高校生を対象にした探究活動プログラムに加わりました。そこで、大人も協力してくれて、オンラインでやってみたり、場所を貸してくれる方がいて実地でやってみたり。
子どもの居場所活動をしているいろんな大人に話を聞いて。そこで二つ思ったことがあったみたいです。一つは、運営にすごくお金がかかっていて、その資金繰りに大人がとても困っていること。かといって、利用者からお金を取るのは本末転倒だ、と。
もう一つは、「誰かが目的を持って居場所を作るんじゃなくて、結果的に居場所になっていることが、居場所なんじゃないか」ということです。
それで、居場所を“作る”ということに、ちょっと疑問を持ったらしくて、方向転換をしました。そこで目を付けたのが医療制度でした。
医療制度って、7割が税金で、3割が自己負担じゃないですか。同じサービスを受けられるのに、利用者は安く利用できる。その仕組みがすごくいいな、と思ったらしいんです。
子どものための活動や居場所を作るときにも、サービスは同じなのに安く利用できるようなものがいいよな、と。それで、小児精神科医になりたい、と。当時は、小児精神科医になって、そこにフリースクールや居場所が併設されたらいいんじゃないか、と言っていました。
「小児精神科医になりたいな」と言い出したのは、高2のときです。今やっていることや思っていることを話しているうちに、ぽろっと。私ももうドリームキラーではありませんでした。「ああ、そうなんだね」という感じでした。
無理とか、なれるかどうか、ということはあまり思いませんでした。やってみたいならいいんじゃない、と。「そういえば、野口英世の本、読んでたよね」という会話もしたと思います。
おおた:最初(第1回)の、野口英世にちゃんと戻ってくるんですね。子どもの頃に理由もなく「これだ」と思えたものが、長い回り道の果てに、くっきりと自分の目標として像を結んだ。だから本人も腑に落ちて、覚悟が決められたんでしょうね。































