
不登校〜定時制夜間高校〜公立大医学部へ コンプレックスが「希少価値な存在」に変わった「浪人時代」
不登校から小児精神科医を目指すまで 母親インタビュー第4回「親の手放しと医学部受験」/全6回 (2/4) 1ページ目に戻る
2026.08.02
教育ジャーナリスト:おおたとしまさ
倉孝子さん(以下孝子):息子・俊徳(としのり)は実は高校受験の頃からすごく落ち込んでいて、自分が思い描いていた生活や未来像がなくなったと感じていたみたいです。
せめて昼間の高校に通いたかったのに夜間になってしまって、理想の未来に届かないという感覚があったんだと思います。
単位制の高校なので、入学後すぐにおおまかな進路を決める必要がありました。息子はなかなか自分の希望進路を言い出せませんでした。
もし定時制や不登校が関係なかったらどこに行きたかったのかと聞いたら、数学が好きだから北大(北海道大学)で数学の勉強がしたい、と。物理など、そういう分野にも興味があると言っていました。
そこに行ってみたいと小さく言ったので、先生に言えばいいじゃないかと勧めたんです。すると、相手にしてもらえないんじゃないかと言うんです。
先生が何と言おうと、自分の希望は言ったほうがいい。言わないと先生は北大についての情報を何もくれないから、言うだけ言ったほうがいいと伝えました。
だけどそれから数ヵ月、私自身の中にもひっかかりがありました。北海道弁で「ほっちゃれ」という言葉があるんです。産卵を終えた鮭のこと。
私は子どもが生まれたとき、「この子の養分となって死ねばいいんだ」と思ったんですよ。もうこれからは、そこに自分の人生を費やすんだ、と。
これは結構長いあいだ、私のなかで思っていたことなんですけど、待てよ、と。子どもには「やりたいことをやれ」と言っているのに、私自身は、自分を犠牲にして自分の人生を諦(あきら)めてやりたいことに制限をかけていた。
当時、自分の子育てを振り返ってめちゃくちゃ反省もしていました。私はドリームキラーだったな、と。
たとえば子どもが小さい頃、「サッカー選手になりたい」と言ったときに、「サッカー選手なんて、よっぽど運が良くないとなれないよ」と、夢を抑え込むようなことを言ってしまっていた。そういうことを、ちょいちょい言っていたんじゃないかと。
私自身が、自分の人生を諦めて、夢を否定していたから、子どもにも無意識にそれを投影してしまっていたんじゃないかって。
親というロールモデルがそう思っていたら、子どももそうなると気づきました。口で「何にでもなれる」「いつからでも、頑張ればなんとかなる」と言っても、説得力がないじゃないかと思い至ったんです。
おおたとしまささん(以下おおた):見方を変えれば、お子さんが身を挺して、お母さんが生き方を変えるきっかけをくれた、とも言える。
孝子:今は本当にそう思っています!
おおた:不登校の長いトンネルを抜けた方は、だいたいそういう視点に立つんです。因果の向きが、逆転するんですよ。
母が楽しみを見つけ 息子もやりたいことへの道を歩み始めた
孝子:ちょうどタイミングよく、「トーキョーコーヒー」という活動が始まったと知って、私もこれをやってみたい、と思いました。
トーキョーコーヒーは、「登校拒否」の文字の入れ替えです。だけど不登校支援というわけではなくて、「不登校は子どもの問題じゃなくて、大人の問題」という視点から、子育てや教育、ひいては本当に豊かな社会について考え、対話を生むための草の根活動的ムーブメントです。
趣味でやっていた環境問題ではなくて、自分がやりたいこととして。仕事は続けたままで、最初は一人で始めました。息子が高1の、夏でした。
言葉ではなくて、生き方で、息子にメッセージを伝えようと思ったんです。もう自分のことを「ほっちゃれ」だと思うのはやめようと決めました。
息子は「お母さんが何か楽しいことを始めたっぽい」と感じてくれたようです。私はパソコンすらまともに使えなかったのに、使わなきゃいけなくなって、必死になってやっていたから、普通のお母さんと違って面白いな、と思ってくれている手応えがありました。
一方、定時制高校、特に夜間部に入ったことで、息子はそれまで知らなかった景色を見ることになりました。































