偏差値30台・2浪から医学部へ 「やりたいことがない」子を持つ親に小児外科医・𠮷岡秀人が語る逆転の道しるべ

▲急な停電が発生するような環境でも外科手術をする𠮷岡秀人先生
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「やりたいこと」が見つからず、何を目指したらいいかわからない──。将来に漠然とした不安を抱いている親や子が多いといいます。

そんななか、ひときわ子どもの可能性に思いを巡らすのに最適な本が出版されました。絵物語『小児外科医 𠮷岡秀人物語 ボクが行かんと誰が行く』の主人公・𠮷岡秀人先生は、文系大学の受験で2科目0点、偏差値30台から、2浪して大逆転で医学部に合格。現在は社会的な問題に取り組む国際医療NGO「ジャパンハート」の創設者として活躍しています。

これまで延べ4500人以上もの医療者を動員し、治療件数は40万件を超えるほどの組織を率いる𠮷岡先生の「ぼくが行かなければ誰が行くんだ」という強い意志はどうやって生まれたのでしょう?

𠮷岡先生に「ほんとうの強さ」を持つためのアドバイスを伺いました。

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絵物語『小児外科医 𠮷岡秀人物語 ボクが行かんと誰が行く』あらすじ

暑くて停電が多いアジアの国・ミャンマーで、𠮷岡先生は今日も病気の子どもたちの手術をしています。

手術中の急な停電もよくあること。そんなとき、看護師たちがライトで患者を照らし、𠮷岡先生は手術を続けて乗り切るのです。

𠮷岡先生はどんな困難にもくじけず、たくさんの子どもたちの命を救ってきました。

でも、ずっと強い心だったわけではありません。子どものころは病弱で、学校の成績もいまいちの「落ちこぼれ」。ある日、𠮷岡少年が一大決心をするできごとがあって──。

80ページにわたって、現地医療の緊迫した様子や𠮷岡先生の決断がやさしい言葉で綴られています。人気の画家・片塩広子による彩り豊かな挿画は、いつまでも見ていたいほどの魅力。ミャンマーの人々の暮らしや子どもたちの笑顔も垣間見えて、胸に迫ります。

医療やアジア文化に興味のある子どもたちはもちろん、大人にも読み応え充分の物語です。

「死に近い場所」で学んだこと

──𠮷岡先生は30年以上もの間、タイの隣にあるミャンマーで無償で子どもたちの治療をしています。たった一人で始めた活動が、今ではたくさんの医療者が参加する大きなうねりとなっています。

𠮷岡秀人先生(以下、𠮷岡先生):そうですね、ぼくの活動に賛同してくれる仲間がたくさんいます。ミャンマーでは、病院が少なく、貧しいなどの理由で病気やケガをしても放っておかれて手遅れや重症になってしまう子どもたちが多いのです。助かる命も多いけれど、残念ながら亡くなってしまう子どもも少なくありません。

──日本より、死に近い場所なのですね。

『小児外科医 𠮷岡秀人物語 ボクが行かんと誰が行く』より

𠮷岡先生:人間って、いつ死ぬかわからない。だからこそ、時間を大切に生きようと思うようになりました。時間を大切に生きるとは、すなわち自分の人生を大切にすることです。それは、人に振り回されたり世間が決めたことをやることではないでしょう。

「自分の生き方のコツ」があると思います。自分が正しいと信じたことをやりとおす人生。そうすることで、気がつけば周りにいい友だちや家族がいるという人生を作っていくことができます。それを死に近い場所で学びました。

比較することで見えてくるもの

──絵物語『ボクが行かんと誰が行く』のなかで、医師になって経験を積んでから、日本を飛び出してミャンマーに向かいます。ミャンマーに行ったことで見えてきたものがありましたか。

𠮷岡先生:比べるものがあって、はじめて見えてくることは多いのです。医療や社会のしくみなども、日本にいれば気づかないけれど、海外に行き、比較するものがあると改めて気づくことがあります。それが外国に行くことのよさですよね。

ひとつしか知らなければ、それが絶対ですが、比較して相対化すると「正しいことは一つではない」とわかります。そういう感覚は大事だと思います。

──ミャンマーの子どもたちや、子育てはどんな様子ですか。

𠮷岡先生:ミャンマーの親も教育熱心ですよ。でも、あまり注意されたり怒られている子どもを見かけません。もちろん、子ども同士でワーキャー言いながら遊んでいますよ。でも、親が「あれしちゃダメ、これしちゃダメ」とあまり規制しないのです。それでみんな人柄のよい大人に育つんですよ。

神さまへの祈りが届いて医学部に合格

──ミャンマーに「ぼくが行かなければ誰が行くんだ」と思ったのは、どんなきっかけからですか。

「落ちこぼれ」から医師の道へ

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