“好き”な気持ちはまぶしくて尊い
大好きなお魚の道を進みつつも、迷走するミー坊。そこに手を差し伸べてくれたのが、高校時代の仲間・総長(磯村勇斗)と籾山(岡山天音)でした。
“かわんねえな、お前”(『さかなのこ』より)
当時のまま、天真爛漫なミー坊を見てうれしさを隠せないふたり。彼らのある提案によって、ミー坊はようやくお魚の仕事に一筋の光を見出すことになります。
そして、数年後。テレビ局のディレクターとなった幼なじみのヒヨ(柳楽優弥)も「ミー坊のことをみんなに知ってもらいたい」と、ミー坊のもとを訪れるのです。
仲間たちにとって、子どものころからお魚への“好き”を貫き続けたミー坊は、まぶしくて、尊くて、ときに憧れの存在だったのかもしれません。
映画『さかなのこ』の完成後、さかなクンはこんなふうに語っています。
“皆さまおひとりおひとりに、夢中なことや大好きなこと、得意なことといった〈宝物〉があると思います。この映画は『さかなのこ』ですけれども、「うたのこ」「ねこのこ」「ケーキのこ」「しぜんかがくのこ」夢がたくさんでギョざいますね!! ぜひ夢を大切に持ち続けて、この映画のラストで子どもたちと笑顔で走っているミー坊ちゃんのようにレッツ・ギョー!!でギョざいます”(『さかなのこ』プレス資料より)
ミー坊は、お魚への“好き”を貫きました。
ミー坊にとってのお魚のように、心の中に〈宝物〉があると、毎日が輝き、うまくいかないときも心の支えになってくれる──。
ミー坊のお母さんのようにはなかなかできないけれど、子どもの“好き”を信じて応援できる母でありたい。そう強く思うのでした。