8児のパパ小児科医・ゆび先生 4人目の誕生で人生激変 子どもに怒っていいときとは?

#1 ゆび先生インタビュー ~人生のターニングポイント~

小児科専門医・インフルエンサー:ゆび先生

──英才教育なども考えていたのでしょうか。

英才教育したい、医師になってほしいと本気で思っていました。人と比べて優れている子、人から悪い点を指摘されないような子に育てようとも思っていました。人目も成績も気にする親でした。

例えば長男のいちごには、「賢くなってほしい!」と思って5歳で将棋を習わせていたんです。しかも全国大会を目指せ、と厳しく言い聞かせていました。ライバルの子に負けると、子どもより僕がくやしがって、「普段勝ってたくせにこんな大会で負けんなよ」と5歳児に本気で言ってました。今とは真逆です(笑)。

4人目が生まれるまでの9年間、つまり上の子3人だけ育てている時期は、「こうすべき」という「べき論」が僕の中に強くありました。

母の日に子どもたちがママへの感謝を伝えるYouTubeの回。家族の大号泣に、記者も思わず涙……。

子どもは3人と決めていた人生設計

──今のような大らかな子育てになったきっかけ、ターニングポイントは4人目の誕生だったということでしょうか。

4人目のうめが生まれたことで、僕は変わりました。思い描いていた人生プランがいい意味で壊れたからです。もうコントロールできなくなりました。

僕は若いころから自分の人生設計を考えていました。早めに結婚して早く開業して家を建てる。子どもは3人で、子育ては早くリタイアして、あとは悠々自適に暮らす。こういうプランがあったんです。

プランどおり25歳で結婚して26歳で父になり、31歳で開業し家を建てました。子ども部屋も3つしか作りませんでした。

週末は常に家族と過ごしているというゆび先生。  写真提供:今井出版
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ところがどっこい、4人目が生まれた。そこから「あれ、ちょっと待てよ」と何かが変わり始めたんです。すべてが自分の思い描いていたとおりにならなくなった。

まず子ども部屋。どうしてもひと部屋足りないじゃないですか。何かを削るとなると、夫婦の寝室を削った。そんな感じであれもこれも削る、という選択が増えていったんです。

早めに子育てをリタイアしようというプランも消えました。4人目が生まれて僕は人生で初めて「削る」という体験をしたんです。それまではあれもこれもほしい、とプラスしていく人生でしたから。

そうやって心に余裕ができたせいか、2年後に5人目のたねが生まれたとき、心の底から「うれしい」と感じたことをよく覚えています。

そのころには「そもそも子ども部屋っていらないよね」「そもそも生まれてきてくれてありがとうだよな」って物事をすべて「そもそも論」で考えるようになっていました。

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