「見えない・聞こえない」世界を子どもが90分体験 小3男児とママに起こったこと
暗闇体験を経て見える新しい世界とは ~#3親子体験レポート~
2023.08.07
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表:志村 真介
親子ともに視覚障害者が身近になったことを実感
さて、息子はどうだったか──。チラッと息子を見ると、今日の感想を紙にびっしりしたためています。私の目線に気づきバッと隠されたので内容は闇の中ですが、あとで感想を聞いたら「見えなくても意外と何でもできたよね」と誇らしげ。
確かに、夏祭りならではの遊びもできたし、迷子にもならなかったけど、それは周りのみんながフォローしてくれたからだよ。
その日の夕飯どき。「Tさんが目が不自由って本当? なんでもできてたじゃん。噓だよね?」「最初から目が見えないのかな、それとも途中から見えなくなったのかな、どの程度なら見えるのかな」「どうやって生活しているのだろう」などと、視覚障害者やその日常生活への疑問を次々と声に出す息子。
3日後。息子は近所の図書館で、視覚障害者らしい集団に会ったことを報告してきました。「あの杖をついて、みんなでゾロゾロ図書館に入っていったんだ」。
前回の取材時(#2)、志村さんが『「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」体験後は視覚障害者が視界に入るようになる』と話していたとおり、息子も視覚障害者への意識や関心が少なからず高まったようです。
私自身も、駅のホームで白杖をついている人に会ったとき、「このエスカレーターにちゃんと乗ることができるか」とハラハラドキドキしながら真後ろから見守ってしまいました。視覚障害者は確実に、私たち親子にとって身近な存在になったのです。
余談ですが、体験から約1週間後、私は体調を崩してほとんど声が出なくなりました。予定をキャンセルするためには電話での説明が必要で、全身の力を振り絞ってかすれかすれの声で事情を伝え、不便さを痛感しました。
声が出ない日が数日間続き、「もしこのまま声を失ったらどうしよう?」と想像しました。一過性だとしても、また声が出なくなる日も来るかもしれない。そのとき、ボディランゲージで喜怒哀楽を表現できたら、コミュニケーションも楽しくなるのではないか。
そう考え、今年冬に開催予定の「ダイアログ・イン・サイレンス」に再び親子で参加し、音のない世界でコミュニケーションを取る方法を学ぶことを決めました。
障害は誰にとっても他人事ではありません。その意味でも、「見えない世界」「聞こえない世界」を体験する意義はあるのでしょう。
取材・文/桜田容子
●対話の森HP チケット「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」夏期限定プログラム『夏祭り』【~2023年8月27日(日)まで開催】
https://taiwanomori.dialogue.or.jp/did-ticket/
●ダイアログ・イン・ザ・ダーク「内なる美、ととのう暗闇。」
夏期限定プログラム『涼をつくる夏』(開催期間はHPを参照)
https://did.dialogue.or.jp/totonou/
桜田 容子
ライター。主に女性誌やウェブメディアで、女性の生き方、子育て、マネー分野などの取材・執筆を行う。2014年生まれの男児のママ。息子に揚げ足を取られてばかりの日々で、子育て・仕事・家事と、力戦奮闘している。
ライター。主に女性誌やウェブメディアで、女性の生き方、子育て、マネー分野などの取材・執筆を行う。2014年生まれの男児のママ。息子に揚げ足を取られてばかりの日々で、子育て・仕事・家事と、力戦奮闘している。
志村 真介
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表。1962年生まれ。関西学院大学商学部卒。コンサルティングファームフェローを経て1999年からダイアログ・イン・ザ・ダークを主宰。1993年『日本経済新聞』の記事で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と出合う。感銘を受け発案者ハイネッケに手紙を書き日本開催の承諾を得る。日本初開催後10年間短期イベントとして開催。視覚障害者の新しい雇用創出と、誰もが対等に対話できるソーシャルプラットフォームを提供している。2020年東京竹芝にダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」をOPEN。現在に至る。 著書に『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』(講談社現代新書)など。 東京・竹芝にある「ダイアログ・ダイバーシティミュージアム『対話の森』」では、2023年9月10日までは、同ミュージアムにて、さまざまなマイノリティと楽しみながらゲームをする「リアル対話ゲームⅡ 囚われのキミは、」を開催。 ●ダイアログ・ダイバーシティミュージアム『対話の森』
ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表。1962年生まれ。関西学院大学商学部卒。コンサルティングファームフェローを経て1999年からダイアログ・イン・ザ・ダークを主宰。1993年『日本経済新聞』の記事で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と出合う。感銘を受け発案者ハイネッケに手紙を書き日本開催の承諾を得る。日本初開催後10年間短期イベントとして開催。視覚障害者の新しい雇用創出と、誰もが対等に対話できるソーシャルプラットフォームを提供している。2020年東京竹芝にダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」をOPEN。現在に至る。 著書に『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』(講談社現代新書)など。 東京・竹芝にある「ダイアログ・ダイバーシティミュージアム『対話の森』」では、2023年9月10日までは、同ミュージアムにて、さまざまなマイノリティと楽しみながらゲームをする「リアル対話ゲームⅡ 囚われのキミは、」を開催。 ●ダイアログ・ダイバーシティミュージアム『対話の森』