「完ぺきじゃなくていい」日本より激しい競争社会を生きる韓国ママの言葉──「自分らしい子育て」をするアドバイス
がんばるお母さんに読んでほしい、一杯のコーヒーのような一冊『完ぺきなお母さんなんていないよね』翻訳:Mina Furuyaさんインタビュー【前編】
2024.11.06
日本はクール 韓国はベッタリ
Mina 韓国は、人間関係がとても深いのです。日本でもお隣さんと親しくすることがあると思いますが、日本ではいくら親しくても、ある程度の距離を置いてお付き合いするでしょう。でも韓国では、お互いの家にスプーンが何本あるのか知っているという冗談を言うくらい、相手の家庭に入りこんだお付き合いをします。だから、「隣の子がやっている習い事は、自分の子にもさせないと」という強い同調意識が生まれるのです。
でも、『完ぺきなお母さんなんていないよね』で著者がずっと伝えているのは、「他人は他人、自分は自分。だから自分らしい子育てをしましょう」ということなんです。だから原題は「母の所信表明」でした。
──自分らしい子育てをしようという考え方は、韓国でも新しい考え方ですか?
Mina そうだと思います。子どもが小さいころは、近所の人たちとお互いの家を行き来しながら子育てをします。そのコミュニティの力が発揮されるのが受験。ご近所さんの口利きみたいな形でいい先生を家庭教師につけることが多いので、子どものためにも、コミュニティに所属していることが大切。役立つこともある一方で、負担に感じても簡単には抜け出せない雰囲気があります。
──それは、日本のママ友コミュニティも同じですね。
Mina このエッセイは、みんなが心の内に抱えていたいろんな思いを、作者が言葉にしてくれたと感じました。だからきっと、心に響く一言が見つかると思います。
──原書を読んで、Minaさんが共感した言葉はなんでしたか?
Mina 1つ目は、子どもの習い事に関すること。読んだ後に、私もすぐに方針を見直すくらい、響いた言葉です。
習い事は「剪定しないと」に深く共感
Mina 我が家はひとりっ子で、夫のほうが教育熱心です。子どもが生まれる前に持っていた私自身の考えは、「あまりたくさんのものを与えない」、「自らやりたいものが見つかったときにだけ、積極的にサポートする」でした。でも、優しい夫は、子どもが欲しいと言えばおもちゃや本などを簡単に買ってあげるし、習い事も、できる限りなんでもチャレンジさせてあげたいタイプの人なので。
最初は本人から求めて来ない限りは、与えないという方針だった私も、息子がひとりっ子のため、「家で寂しい思いをするよりは良いのでは?」と、いつの間にか周りから勧められた習い事を増やして、毎日のように息子に通わせていました。
例えば、自分が音楽をやっていたこともあり、子どもには絶対、小さいうちから楽器を慣わせたいと言う気持ちがありました。それで4歳頃からバイオリン教室に通わせていたのですが、やはり「今の時期を逃すともったいない」と言う欲が新たに出てきて、小学生になってからはピアノ教室にも通わせることに。
でも、やはり、毎日練習を重ねないと、目にみえる上達はしないもの。「自ら楽器を弾くより、コマまわしや虫探しの方に夢中な7歳の息子のことを素直に受け入れることにしよう」と夫婦で話し合って、最近ピアノ教室は辞めることにしました。親子ともに、習い事の消化不良状態になってしまったことに気づいたのです。その時に響いたのが、「習いたいことが多すぎ」というエッセイの中に出てきた言葉です。そこを読んでなおさら、消化不良な習い事を整理する勇気が湧いたのです。
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子供はどんなことでも習いたいそうです。
いざ、させてみたら意外とできるから余計に悩んでしまいます。
考えてみたらぜんぶ必要なことだし、
むしろ親としてはやってあげないといけないと思うわけです。
やめさせるべきものなんて、どう考えてもなさそう。
悩むその気持ち、わかります。
でも剪定しないと
のびのびと育つことが
できません。
(『完ぺきなお母さんなんていないよね』 イ・ジヨン/著 Mina Furuya/訳 PIE Internationalより、「習いたいことが多すぎ」の一部引用)
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Mina 「習いたいことが多すぎ」の冒頭は、たくさんの芽が出てきてどれもかわいくて、どの枝を切ろうかと悩んでるうちに植物が育たなくなったと言うエピソードが書かれています。
私も家で、えごまの葉を育ててみたくて、欲ばってプランターにたくさんの種をまきました。少し経つとどれも芽が出てきてプランターいっぱいに。家庭菜園の経験がなかった私はただただうれしくなって、間引くこともせずそのままにしていたんです。そうしたら育ちすぎてボーボーになって、一つ一つがちゃんと育たなくてダメになったことがあるのです。だから「剪定しないと」という言葉が、実感として理解できました。
「子どものために」「もしかしたら才能があるかもしれない」と思って、がんばってたくさんやらせてしまいがちですが、「習わせたい」という気持ちだけでは続かないものもあります。同じ章の「遠ければ行かせない」には、著者がお互いの「時間」を大切にしたいから、いくらよい習い事でも遠ければ行かせなかったとも書いてあります。つまり、そのお母さんの原則を決めて、その通りの信念を信じて子育てをすることで、周りに振り回されずスッキリした「間引き」ができるのだと私は共感できたのです。
Mina 子育てをがんばりたいと思いつつも、毎日お世話をしている親が、スケジュールや金銭的などに無理はないか、本当に今習うべきことなのかを考えることが大切なんだなと。コミュニティの中でだれかが、自分の子どもに必要そうな習い事を始めると、つい焦って「うちも!」といっしょにやることもありますが、子どもによって必要なものはそれぞれ。無理はせずに、家庭の方針に合わせて習い事を決めることと言うメッセージが今の自分にも当てはまるアドバイスだったのでとても響きました。
2つ目は「先に行きたければ、お先にどうぞ」という言葉です。小学校受験のときに初めて幼児教室に通わせたときから、目に見えない競争が始まったのです。私はまんまと、その競争が招く罠にはまってしまいましたね(笑)。
Mina Furuya
韓国・ソウル出身のアーティスト。2006年にシンガーソングライターとしてデビュー。結婚を機に東京に拠点を移す。現在は子育てをしながら韓国絵本の翻訳や料理本・エッセイの執筆活動をする一方、韓国料理など韓国カルチャーに関するさまざまな教室を主宰する。
韓国・ソウル出身のアーティスト。2006年にシンガーソングライターとしてデビュー。結婚を機に東京に拠点を移す。現在は子育てをしながら韓国絵本の翻訳や料理本・エッセイの執筆活動をする一方、韓国料理など韓国カルチャーに関するさまざまな教室を主宰する。