夫が明かす妻・田部井淳子の素顔と「普通の夫婦」の半世紀

映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』公開記念インタビュー【前編】夫・政伸さん (3/3) 1ページ目に戻る

フリーライター:浜田 奈美

「登山」という遊びをめいっぱい楽しんだだけ

──ちなみに子育てに関しても、弱音とか不安を口にされなかったのですか?

全然、言わなかった。まずは「大丈夫」だと。僕も彼女も、何事も「大丈夫だ」と考えることから始めました。

じゃあどうやって「大丈夫」なようにするかは、次の段階で考えればいいことであって。子育てでもなんでも、ネガティブな考え方は絶対にしませんでしたね。

──前回(6月公開)のインタビューでは、ご長男の進也さんは、ご自身の成長過程で「世界的登山家の息子」と呼ばれることへの葛藤があったと伺いました。夫である政伸さん自身は、淳子さんが「世界的登山家」うんぬんなどと考えることは、ありませんでしたか?

全然、ありませんでしたよ。エベレストに登ったことはすごいことだったと思いますが、自分でも言っていたように、「普通のおばさん」ですから。

50年前に女性だけでエベレストに行くなんて、当時としては考えられないことでした。それでも、かみさんが「私はエベレストを登ったの」なんて自慢することは、まずなかった。

なぜエベレストに行ったのかと聞かれれば、「山が好きだから」ということだけでね。僕としても「好きなことだから、いいんじゃない」と送り出しただけのことです。

エベレストから戻ってきた翌朝から、エプロンをつけて、普通に台所に立ってましたよ。次の日ぐらいには子どもの用事があるからと、学校にも行きました。

「私はエベレストに登ったんだから特別なんだ」とか、そんなことは思わない人でしたね。だからこちらも「協力してあげたいな」って気持ちになるのでね。

そもそも登山は「遊び」なんですよ。いくら登山をしたって、給料が上がったり、世の中が良くなったりするわけじゃないしね。

だから僕たちは登山という遊びを、めいっぱい楽しんでいただけで、「どこどこの山に登ったからすごいんだ」なんて自慢めいたことは、僕もかみさんも、一切しませんでした。

だからエベレストに登ったことで、派手に注目されてもなあという思いもあって、自分たちから率先して騒がないようにしていましたね。

田部井淳子さんの写真や山の思い出を飾った自宅にて語ってくれた夫・政伸さん。  写真:浜田奈美
すべての画像を見る(全6枚)

──お二人が結婚されたのは1967年でした。淳子さんが2016年10月に逝去されるまで共に歩んだ年月は半世紀以上にわたりますが、淳子さんと生きた50年は、どんな時間でしたか。

とても楽しかったですよ。うちのかみさんも、よく自分の本に「うちの旦那は大当たりだ」と、書いてくれていたけれど、僕もそれと同じでね。大当たりでした。

なぜかと言えば、結婚するとき、一人でいるより二人の方が、山登りでも暮らしていくうえでも楽しくやれるから、という思いで一致していたわけです。それが結婚するときの基本だったから、山でも生活でも何でも、お互いが楽しめることが最優先でしたね。

二人で一緒にプラスになることをやっていこうと。そんな50年でしたね。

──そんなお二人の歩みが、この映画をきっかけにいろいろな人に伝わるかもしれません。

映画を観て、モデルになったかみさんと僕たち家族の生きざまに、少し思いを巡らしてもらって、「なるほどこういう生き方があるんだな」と知ってもらえると、いいですね。

この映画を観て、初めて田部井淳子という人物について知る人が大勢いれば、その人の生き方が多少変わっていくんじゃないかと思うんです。そういう点でも、映画を作っていただいて、よかったですよね。

──ご夫婦にはたくさんの登山仲間がいらっしゃいますが、たくさん「観たよ」という連絡が届いているのではありませんか。

仲間たちから「観たよ!」という連絡が、いっぱい来てますよ。そしてみなさん「良かった」と、言ってくれてます。「おもしろかった」ではなくて、「良かった」という感想は、映画から何かを感じてくれた証拠なんじゃないかな。

──確かに、人生のいろいろなことを考えさせられる映画です。

だから僕、連絡をくれる仲間にこう言うんですよ。「1回じゃダメだよ。2回、3回観なければ、もっと良くならないよ」って。2回目に観たら1回目には気がつかなかったこととか、3回目には、また違う発見があるものですよ。

阪本順治監督も、舞台あいさつで、「この映画を気に入ってくれたなら、またぜひ来てください。この映画は2回目が一番面白いです」と言っていましたよ。だからぜひ、2回も3回も、何度でも観てほしいですね。

─・─・─・─・
次は田部井淳子さんの息子・進也さんに話を伺います。


取材・文/浜田奈美

<DATA>
映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』
(全国公開中)
  
登山家・田部井淳子さんの生涯を映画化。田部井さんを演じるのは吉永小百合と、のん(青年期)。今回の取材にこたえくれた夫・政伸さんを佐藤浩市と工藤阿須加(青年期)が、長男・進也さんを若葉竜也が演じる。

田部井淳子➡︎役名:多部純子 吉永小百合、のん(青年期)
夫・政伸➡︎役名:多部正明 佐藤浩市、工藤阿須加(青年期)
長男・進也➡︎役名:多部真太郎役 若葉竜也
監督:阪本順治 脚本:坂口理子 配給:キノフィルムズ

■公式WEBサイト:https://www.teppen-movie.jp/
©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会

●「東北の高校生の富士登山」プロジェクト(一般社団法人田部井淳子基金主催)

田部井進也さんがプロジェクトリーダーを務める、東北の高校生と富士登山に挑むプロジェクト。福島県出身の田部井淳子さんが企画し、東日本大震災の翌年(2012年)からスタート。現在も全国からの寄付や支援を得て続いている。プロジェクトの詳細や寄付の宛先は一般社団法人田部井淳子基金の公式HPから。

・一般社団法人田部井淳子基金
https://junko-tabei.jp/

田部井さんを知るおすすめの本

子どもに、いま出会ってほしい、101人の物語を収録した『決定版 心をそだてる はじめての伝記101人[改訂版]』(講談社)。表紙カバーには田部井淳子さん、坂本龍馬、田部井淳子、マザー・テレサ、中村 哲、ベートーベン、渋沢栄一、スティーブ・ジョブズらが登場。
フリーライター浜田奈美が、こどもホスピス「うみとそらのおうち」での物語を描いたノンフィクション。高橋源一郎氏推薦。『最後の花火 横浜こどもホスピス「うみそら」物語』(朝日新聞出版)
この記事の画像をもっと見る(全6枚)

前へ

3/3

次へ

27 件
はまだ なみ

浜田 奈美

Nami Hamada
フリーライター

1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。

1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。