世界的登山家・田部井淳子が息子に引き継いだ東北の高校生支援 大きな反抗期を経て 子育ても人生も「あきらめず一歩一歩」

世界的登山家・田部井淳子の子育て【3/3】~母子へ引き継がれた東北の高校生支援プロジェクト~

フリーライター:浜田 奈美

そして今秋10月、この「東北の高校生の富士登山」の様子なども交え、田部井さんの半生を描いた阪本順治監督の映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』が公開されます。

田部井さん役を吉永小百合さんが、夫の政伸さん役を佐藤浩市さんが演じます。ちなみに進也さん役は、若手人気俳優の若葉竜也さんです。

この映画を企画したのは、吉永さん自身だったそうです。

「吉永さんは、うちのかみさんとラジオ番組での共演がきっかけで縁がつながったらしくて、『田部井さんの生き方に感銘を受けた』と言っていただきました」。政伸さんも恐縮しきりです。

母亡き今 残された大きな問題

映画でプロジェクトのシーンを撮影する際、参加した「元高校生」たちも富士山に駆けつけてくれたそうです。

「登頂50周年」の今年は映画に加え、イギリスやスペインなど海外メディアからの取材が続き、改めて田部井さんの偉業や人生が注目されています。

しかしそれでも、「『東北の高校生の富士登山』を続けることは容易ではありません」と進也さんは言います。

最大の問題は「経費」です。

高校生たちの参加費は、田部井さんの「できるだけ無料に近い金額で連れていきたい」という思いから、当初からお小遣いから出せる範囲の3000円です。

しかし東北からのバス代や宿泊費、高校生と共に登るガイドの人件費など、プロジェクト全体の実際の経費は、毎回数百万円~数千万円規模です。

基本的に個人や企業からの寄付と協賛金などで賄っているため、進也さんは毎年の「富士登山」が終わるとすぐに翌年に向けた寄付金集めを始めます。

残念ながら、田部井さん亡きあと、支援を取りやめた企業は少なくありませんでした。

「正直、くやしい思いはありましたが、母が亡くなった以上、仕方がありませんよね。だから続けられる範囲で続けるのみです」と進也さんは苦笑します。

プロジェクトを通じて、進也さんはたくさんの高校生たちと「友達になった」と言います。その年の富士登山が終わっても、SNSで連絡を取り合い、就職や結婚などの報告や、人生相談も寄せられるそうです。

毎夏、東北から富士山へと向かうプロジェクトのバスの中で、進也さんは高校生たちにこう伝えています。

「この富士登山プロジェクトには別の学校の高校生と、たくさんのカッコいい大人たちが参加してくれてます。なのでこの3日間、たくさんの人と出会い、話をしてください。

みんなの進路や将来を考える上で、きっと役立ちます。そして登山の後も、人との出会いを大切にしてほしいと思います」

「田部井淳子の息子」と呼ばれて鬱屈していた自分が、心ある大人たちに支えられて変わった経験に裏打ちされた言葉です。

そして今年、海外メディアから「お母さんがあなたに残したものは何だと思うか」と問われた進也さんは、迷うことなく「たくさんの人たちと出会えたことです」と答えたそうです。

最近も、映画制作の現場でさまざまな職種の人たちと出会い、主演の吉永小百合さんとは、「ハイタッチ」も交わしたとか。進也さんはこう語ります。

「母のおかげで、信じられないくらいいろいろな人と出会ってきました。本当にありがたいことだと思います」

取材・文/浜田 奈美

●「東北の高校生の富士登山」プロジェクト(一般社団法人田部井淳子基金主催)

田部井進也さんがプロジェクトリーダーを務める、東北の高校生と富士登山に挑むプロジェクト。福島県出身の田部井淳子さんが企画し、東日本大震災の翌年(2012年)からスタート。現在も全国からの寄付や支援を得て続いている。プロジェクトの詳細や寄付の宛先は一般社団法人田部井淳子基金の公式HPから。

・一般社団法人田部井淳子基金
https://junko-tabei.jp/fuji

田部井さんを知るおすすめの本

子どもに、いま出会ってほしい、101人の物語を収録した『決定版 心をそだてる はじめての伝記101人[改訂版]』(講談社)。表紙カバーには田部井淳子さん、坂本龍馬、田部井淳子、マザー・テレサ、中村 哲、ベートーベン、渋沢栄一、スティーブ・ジョブズらが登場。
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フリーライター浜田奈美が、こどもホスピス「うみとそらのおうち」での物語を描いたノンフィクション。高橋源一郎氏推薦。『最後の花火 横浜こどもホスピス「うみそら」物語』(朝日新聞出版)
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はまだ なみ

浜田 奈美

Nami Hamada
フリーライター

1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。

1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。