3歳まで言葉が出なかった息子…ディスレクシアの子育て経験 私もディスレクシアだった

ディスレクシアの子育て #3

木下 千寿

ディスレクシアは発達障害の一種で、知的に問題が無く、聴覚・視覚の知覚的機能は正常なのに、読み書きに関しては、正確またはスムーズにできないという学習の困難を示す症状のことを言います。

ディスレクシアの全ての人が活き活きと暮らせる社会を目指す団体「NPO法人エッジ」代表で、自身もディスレクシアの子育て経験をもつ藤堂栄子さんにインタビューした連載・第1回では、ディスレクシアの基礎知識と現状について、続く第2回では「ディスレクシアの子どものために、親ができること」について伺いました。

連載最後となる第3回では、藤堂さんご自身の子育て体験と、そこから得られた発見について伺います。

藤堂栄子(とうどう・えいこ)「NPO法人エッジ」代表。星槎大学特任教授。フリーランス通訳者(英仏)。
英国留学をした長男がディスレクシアであると判明したことをきっかけに認定NPO法人エッジを設立。以来会長を務める。発達障害者ネットワーク副理事長、社会保障審議会障害者部会委員、教科書バリアフリー法、読書バリアフリー法関連検討委員会などの委員歴任。

3歳まで言葉が出なかった息子

私がディスレクシアを知ったのは、息子の高直(たかなお)がきっかけです。

彼は言葉が遅く、3歳まで「ママ」のマが出ませんでしたが、自分独自の言葉を持っていて、小学校に入るころまで靴下のことを「オチュクタ」、スパゲッティのことを「チュンチュン」などと言っていました。また話し始めると、よく考えた面白いことをいろいろと話してくれました。レゴや積み木で作るものが本当に独創的で、「天才かもしれない」と思わせるすごさがあり、私は彼のことを「天才チャン」と呼んでいました。

小学生時代の高直(たかなお)さん

もともと私の両親は、周りと違うことをむしろ奨励していた節があり、その影響から私も自由にのびのびと育ちました。

もちろん、人間として備えていなければいけない正義感やフェアな精神、自分よりも弱いものに対する優しさ、他者への敬意などについては厳しく言われてきましたが、周囲と異なる言動に対して「周りと合わせるように」と言われたことはとくにありません。ですから自分の子どもに対しても、そのユニークさを喜び、心から天才だと信じていました。

私もまたディスレクシアだった

実は私自身も育つ過程で言葉はほとんど話さず、机の下でゆっくり一人遊びをしていたと聞いています。小学校に入ると漢字を書かない、アルファベットも覚えない、計算は筆算が大の不得意、「忘れ物の女王」と呼ばれるほど忘れ物が多いなどの困難さがありました。

そう、私もまたディスレクシアだったのです。このようにディスレクシアの子どもをもつ親や親族にディスレクシアがいたということは、多くあります。

小学校に入った息子は、思い違いや忘れ物が半端なく多く、「さすが私の子」と面白がっていました。また学年が上がるにつれ、漢字が覚えられない、書き順やヘンとツクリ、似ている形の字を読み違える、意味が近い字を読み違える、計算のケアレスミスなどが目立つように。

通信簿は、国語は漢字の書き取りや読みはあまり点数が伸びませんが、本を読むのは好きで長文読解は大丈夫。算数は、図形は得意ですが筆算は苦手。歴史や理科は大好きなど、成績にかなり凸凹がある状態。中学に入っても、それは続きました。

留学をきっかけにディスレクシアが判明

紆余曲折を経て、彼は15歳のときに本人たっての希望でイギリスに留学。私も帰国子女でヨーロッパには合計10年ほど住んでいましたから、彼の持っている良さはヨーロッパのほうが活きるだろうと思い、賛成して送り出しました。

そして彼が留学して半年後、学校から「息子さんがディスレクシアかもしれないので、検査をさせてほしい」という連絡が来たのです。当時、「ディスレクシア」という言葉も知らなかった私はピンとこなかったのですが、「この子は、ほかの子とはどこか違っている。天才に違いない」と思い込んでいたので、“違う”ということが分かるのだったらと、検査を依頼したのです。

検査の結果、彼にはディスレクシア、そしてディスグラフィア(書字の困難)とディスプラクシア(協調性運動障害、平たく言えば不器用さ)もあると判明。

息子が通っていた学校では、彼がディスレクシアであると分かると、すぐに指導方法を変えてくれました。近くの公民館で行われている、大人向けタッチタイピングの教室に通えるよう手はずを整え、英語や主要科目については校内のディスレクシア教育の専門家が、彼用の個別の指導プログラムを組んでくれました。

成人後の高直(たかなお)さん。現在はタイのチュラロンコン大学で、教授として建築デザインを教えている。

その後、彼はディスレクシアの生徒が30%程度在籍するアートと科学が中心の学校へ進学。そして大学では昔から興味のあった建築デザインを学び、建築デザイナーになりました。現在はタイのチュラロンコン大学で、教授として建築デザインを教えています。

宿題よりも早く寝なさい

息子を通じてディスレクシアについて学ぶと、私自身への理解も進みました。それまでは「どうして私ってこうなんだろう?」と引っかかることがしばしばあったのです。

たとえば話を聞いて理解し、違う言語に変えるという通訳の仕事はすごく得意なのに、文字を介する翻訳作業は絶望的にできない、など。「自分の脳の仕組みで、こういうことが起きているんだ」と腑に落ちました。私にとってディスレクシアは、「自分を知る旅」だったのです。

脳科学という新しい世界に飛び込めたのは息子のおかげですし、英語学や言語学とディスレクシアの関係も、非常に興味深かったです。

息子の子育てに関して言えば、小さいころは自然に触れ合う時間を多く持つようにしてきました。早期に読み書きはほとんどやらせず、たくさん外遊びをする。野山を駆け巡ることで身体機能が上がり、脳のシナプスも発達するのです。また子どもたちが喜んでくれるし、私自身も楽しかったので、日本語や英語の絵本をよく読み聞かせしていました。

そして息子にはよく「ほかの子と違っていていいよ」、そして宿題に時間がかかり手間取っていると、「宿題よりも、早く寝なさい」と言っていました。というのも、学校生活で彼にはさまざまな困りごとがあって、とても疲れてしまうからです。私も子どものころ、同じような想いをしてきたゆえに、彼の状態や気持ちはよく分かるので、家ではホッとしてほしいなと思っていました。

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