「子どもの自己肯定感を育てたい!」と願う親がやりがちな"危うい勘違い"とは?
人生相談本コレクター・石原壮一郎のパパママお悩み相談室〔08〕
2021.10.14
コラムニスト&人生相談本コレクター:石原 壮一郎
パパママは今日も悩んでいます。夫婦の関係や子育てをめぐる困りごとに、どう立ち向かえばいいのか。
500冊を超える人生相談本コレクターで、2歳の孫のジイジでもあるコラムニスト・石原壮一郎氏が、多種多様な回答の森をさまよいつつ、たまに自分の体験も振り返りつつ、解決のヒントと悩みの背後にある“真理”を探ります。
今回は、「わが子の自己肯定感を高めたい」というパパ(6歳男児の父40歳)のお悩み。はたして人生相談本&石原ジイジの答えは?
自己肯定感とは子どものダメ要素もOKとすること
いつ頃からじゃろう。あっちからもこっちからも「自己肯定感の高い子どもに育てよう!」というかけ声が聞こえてくるようになった。
今回の相談者の息子は、引っ込み思案で、新しいことをやらせようとしても「僕には無理」と手を出さないという。相談者は「どうすれば、もっと自己肯定感が高い子どもになってくれるんでしょう」と悩んでいる。
先人たちが積み重ねてきた人生相談の回答から、何かと気になる「自己肯定感」の正体に迫ってみよう。
最初は、タレントのくわばたりえさん(3児の母)が聞き手になって、専門家と子育ての悩みを考える本から。
「どうせ、できない」とすぐあきらめがちな「不器用さん」の子どもと、どう接すればいいのか。
乳幼児教育研究家の井桁容子さんは、「親はとかく何でもできるいい子にしたいと欲張ってしまいますが(中略)、本人はそんなことやりたくないと思っているのなら、無理をさせることに意味はありません」と言いつつ、こうアドバイスする。
〈不器用ゆえの歯がゆさは、努力する根気や頑張る力を育てたり自分が別に持っている得意なことに目を向けることにもなります。失敗を応援してもらえた子どものほうが、失敗しない子どもより、成長の伸びしろが大きいですよ〉
(引用:くわばたりえ、井桁容子著『くわばたりえの子育ての悩みぜ~んぶ聞いてみた!』2017年、PHP研究所)
「自己肯定感」という言葉は出てこないが、内容はまさにそういうことじゃ。
「自己肯定感が高まれば、もっと“いい子”になるはず」と期待するのは、考えてみたら、子どもの今の状態を否定していることになる。引っ込み思案であることを嘆くより、引っ込み思案だからこその持ち味を探して、それをどう伸ばすかを考えたほうがいいかもしれん。
まずは親がわが子の個性を肯定しないで、子どもが自分を肯定できるわけがない。
どんな思いがあれども マイナスの言葉はやはりマイナス
続いては、思春期世代の子どもからの【親からバカ呼ばわりされる】という相談。青森県の郁子さんは「うちの親はなにかというと私に向かって「バカだなあ」とか「本当にバカだ」とか言います」と憤(いきどお)っている。
元中学校教員で教育関係の著書も多い山田暁生さんは、親の無神経さをやんわり批判しつつ、こう諭す。
〈「バカ」とか「だめだな」とか「できっこないよ」とか「やったって、どうせろくなことできないよォ」とか、いろんな人から言い続けられていると、いつの間にか自分の心の中にも「いくらやろうとしても、どうせ大したことはできない。まあ、こんなとこかな」という後ろ向きの力が無意識のうちにいつも働き、きみのかくれたすばらしい力が抑えられっぱなしになっちゃいそうだと心配です。だけど、本当に親は「郁子をバカな子にしたい」と思っているのでしょうか。それは正反対です〉
(初出:毎日小学生新聞の連載。引用:山田暁生著『100問100答 思春期/悩み相談室』1996年、学事出版)
もちろん、相談者の親は子どもの成長を願って言っているはずじゃ。しかし、それは伝わっていないし、結果的に子どもの足を引っ張っている。ほかにも「親にバカと言われる」という相談は、いくつか見つかった。
気持ちが伝わっていないだけなら、まだ救いがある。しかし、世の中には「発奮させるため」と理由をつけて、子どもという“弱い立場の相手”を罵倒したり必要以上に厳しく叱ったりして、ストレスを解消している親も少なくない。
そして、そういう親のほとんどは、自分を「教育熱心」だと思っている。やれやれじゃ。
読者の中には、そういうタイプはいないじゃろう。
ただ逆に、自己肯定感という言葉に惑わされて、とにかく子どもをホメなければというプレッシャーを抱いているケースはあるかもしれん。
みうらじゅん母のホメまくり子育て
3つ目は、もうすぐ子どもが生まれる人からの【ほめたおして育てた方が良いのでしょうか?】という相談。
幅広い分野で活躍し、お見受けしたところ自己肯定感もひじょうに高そうなみうらじゅんさんは、自分の体験を元にこう語る。
〈「あんたなら出来る!」というのが、うちのオカンの若い頃からの口癖でした。「出来ひんことだってある!」と口答えすると、「それは好きやないからや」と一言。確かに僕は学校での勉強が好きではありませんでした。好きな漫画を描けば「あんたは漫画家になれる!」、文章を書けば「小説家になれる!」、ギターを弾けば「ミュージシャンになれる!」と、オカンは僕を絶賛してきました。(中略)〝私が絶賛しなくて誰がする″。今ではオカンの心意気にとても感謝しています〉
(初出:朝日新聞大阪本社版の連載。引用:みうらじゅん著『お悩み祭り ひょっとこ篇』2005年、朝日新聞社)
絶賛が実を結んでか、みうらさんは母親の予言をすべて実現した。
ここまでの手放しの絶賛は、なかなか容易ではない。多くの親は、何かがうまくできたとか親好みの言動をしたとか、ついつい条件付きでホメてしまう。ホメないよりホメたほうがいいとは思うが、親の期待を察知するのが上手な子どもになられても困る。
どの場面でどうホメようかという「邪心」があるうちは、本当の意味でわが子を肯定してはいないのかもしれん。
自己肯定感界隈には「子どもの自己肯定感を高めるには、まずは親が自己肯定感を高めなければいけない」という言い方がある。
そんな簡単に高まるものではないし、上げ底の自己肯定感を持ったところで、ハッタリと言い訳がやたら上手な困った人になりそうである。
子どもにまでその傾向が伝染したら目も当てられん。親も子どもも、自己肯定感を持つことはきっと大切である。大切だからこそ、無理に高めたくなる誘惑を振り切りたいものじゃ。