戸惑いの裏にあるジェンダーの認識
子育ての中で生じるジェンダー認識の差異。こうした戸惑いの背景には、近年のジェンダーをめぐる語られ方も影響しているのではないかと、天野さんは指摘します。
「本来、ジェンダーフリーを意識する背景には、“女の子だからやりたいことも我慢”“男の子なんだから泣くな”といった抑圧をなくしたいという思いがありました。ただ、その意識が広がる中で、“ジェンダーは良くないもの”“なくすべきもの”のように、ジェンダーそのものが否定的に、あるいは短絡的に受け止められてしまう傾向も強まったのではないでしょうか」(天野さん)
こうした語られ方の影響のもとで、子どもが自然に選んだ“らしさ”に対しても、「このままでいいのだろうか」と戸惑う親が出てくることもあるかもしれません。
「そもそもジェンダーは、個人の“らしさ”だけの問題にとどまらず、社会的・文化的な側面をもっています。もちろん、ジェンダーによる抑圧や不平等の問題はとても重要です。ただ、ジェンダーをめぐる啓発的な言説では、抑圧の問題が強調されるあまり、ジェンダー表現を文化的に楽しむ面が見えにくくなっている。僕は、そこに少し違和感を覚えています」(天野さん)
例えば、K-POPや日本のアイドル文化などでは、多くの人がジェンダー表現の魅力を自然に楽しんでいます。しかし子育ての場面になると、それが避けるべきもののように語られてしまうこともある。こうしたジェンダーに対する扱いの違いが、ジェンダーをめぐる議論をわかりにくくしている面もあるのではないでしょうか。
さらに天野さんは、社会制度の問題と日常生活の問題が混同されている点にも言及。
「社会制度における男女の不平等を是正することは重要です。でも、子どもがどんな遊びや色を好むかという日常の選択とは、必ずしも同じ問題として語るべきものではありません。制度の問題と日常の問題が区別されないまま、ジェンダーが単に改善すべきものとして扱われてしまうのは、少し本末転倒のようにも感じます」(天野さん)
抑圧や不平等をなくそうとする議論が広がる中で、子どものジェンダーについても「正しく育てなければならない」というプレッシャーのように感じられてしまうことがあるのかもしれません。
「“ジェンダーフリー”という言葉の真意が広がらないまま、新しい規範のようなものが生まれてしまうこともあると思います。自由になるはずの議論が、“女の子がピンクを選ぶのは古い”というような新しい“正しさ”をつくってしまうこともある。それは少し苦しい。」
「本来、子ども個人が選んだ結果として、女の子が“女の子らしく”、男の子が“男の子らしく”育つこと自体は、なにも否定されるものではありません。この点は、ジェンダーや性の多様性を語る上で、当たり前のこととして省かれがちです。ですが、今改めて、僕たち大人が、その“表現の自由”という前提にもう一度立ち返ることも大切なのではないでしょうか」(天野さん)
わが子が「らしさ」から外れたとき、大人はなぜ戸惑うのか
もう一つのパターンとして、子どもが社会で一般的にイメージされる「女の子らしさ/男の子らしさ」から外れる言動や好みを見せたときにも、親は、自分が思い描いていたわが子の姿との違いに戸惑うことがあります。
親は知らず知らずのうちに、「女の子だからおだやかに」「男の子だから元気に」といった期待を抱いていることがあります。そのイメージと現実が違ったとき、「あれ?」という戸惑いが生まれるのかもしれません。
「親が子どもに理想を思い描くこと自体は、不自然ではありません。”女の子らしく””男の子らしく”育ってほしいと願うのも、親の自由だと思います。ただ、それが子どもを縛るほど強くなってしまうと窮屈さや生きづらさにつながることもあるので、そのバランスが大切だと思います」
「“女の子らしく”“男の子らしく”育ってほしいという願いは、ポジティブな思いから生まれるものだと思います。一方で、この“らしさ”から外れると、周囲と違うことでからかわれたり、孤立したりする可能性を心配する気持ちも、少しあるのかもしれません。そうした社会的な背景を考えて、親が子どものことを心配してしまう場面もありそうです」(天野さん)
わが子の姿に戸惑い、社会の中で困らないかと不安になることは、決して特別なことではありません。まずは、その気持ちがどこから生まれているのかを理解することが出発点になるのかもしれません。
では、実際の子どもはどうなのでしょうか。
































