麴町中学元校長・工藤勇一「いじめ問題」を本当の民主主義教育から解決する

学校改革の旗手・工藤勇一氏「今こそ子どもたちに本当の民主主義教育を」 #3~いじめ問題~

横浜創英中学・高等学校長:工藤 勇一

これまで多数の本の執筆やメディア出演、講演を行ってきた工藤先生。それらの究極の目標は「学校を民主主義の土台にする」だったと言います。
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「学校は民主主義を学ぶ土台である」という信条に基づき、学校の当たり前を次々に改革してきた千代田区立麴町中学校の元校長で、現在は私立横浜創英中・高の校長を務める工藤勇一(くどう・ゆういち)先生。

学校が抱えるいじめ問題も、民主主義と深く関わる問題と工藤先生は位置づけます。しかし国がいじめの定義を広げすぎたあまり、いつしかいじめ問題は“大人の問題”になってしまっていると警告。親が知っておきたいいじめ問題の真相について伺いました。

※第3回/全4回(#1#2を読む)

工藤勇一(くどう・ゆういち)PROFILE
横浜創英中学・高等学校長。1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部応用数学科卒。山形県公立中学校教員、東京都公立中学校教員、東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長などを経て、2014年から2020年3月まで千代田区立麴町中学校校長。宿題廃止・定期テスト廃止・固定担任制廃止などの教育改革を実行。一連の改革には文部科学省が視察に訪れ、メディアがこぞって取り上げるなど大きな話題に。

自分でトラブルを解決できない子どもたち

「日本がなかなかいじめの減らない国だと言われている原因は、幼いころからの大人の介入です」

教師や教育委員会の立場から、学校現場と関わり続けてきた千代田区立麴町中学校の元校長で現在、横浜創英中・高校長の工藤勇一(くどう・ゆういち)先生は、いじめ問題が“大人が解決すべき問題”にすり替わっていると考えます。

その結果、当事者である子どもたちが「自分たちで解決しよう」という当事者意識をすでに失っていると感じてきました。

「日本のいじめ問題が難しいのは、子どもの解決能力が失われていることです。だから問題がひどくなりやすい。

解決できないから自分の味方を増やし、多数派工作したくなるんです。日本の子どもたちがこのままの日本の教育を受けていくと、自分たちのトラブルを解決する能力がどんどん奪われていくでしょう。

マイノリティを切り捨てる多数決の構造と、いじめの構造は全く同じです」と工藤先生は指摘します。

国が定める「いじめの定義」の何が問題か

さらに工藤先生は文部科学省による「いじめの定義」の拡大が、問題を複雑にしているといいます。文科省は小さないじめも見過ごさないよう、いじめの定義を徐々に広げていきました。

〈いじめの定義の変遷〉
【平成6年度からの定義】
「いじめ」とは、「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているもの」とする。

【平成18年度からの定義】
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とする。

【平成25年度からの定義(いじめ防止対策推進法の施行)】=現在の定義
いじめとは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」とする。

※引用:『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力を育む』(共著:工藤勇一、苫野一徳)/あさま社)99ページより

いじめの定義は見直されるごとに拡大し、日常のトラブルとの見分けがつきにくいほどになっていきました。

「当初(平成6年度)の定義は『強い者が弱い者』に対して『一方的に継続的に』苦痛を与えるという内容で、僕らがイメージするいじめそのものでした。定義の内容自体が大変きつく、ほとんどが犯罪に近いと思われるほどのものでした。

でも、中には犯罪とまではいえないいじめもあります。例えば『みんなで無視をする』ということ。明らかに精神的苦痛ですが、犯罪かどうか微妙です。平成18年度からの定義ではそういうものも含めていじめという定義になりました。

この定義ができたころ、『いじめは許さない』『いじめはゼロにしよう』という言葉が生まれました。ですが、その後もいじめによって命を絶つ子どもがいました。そこで文科省はもっと定義を広げれば、小さな問題も拾えるのではと考え、平成25年度からはさらにいじめの定義を広げたんです」(工藤先生)

定義を広げすぎた結果、「子どもが嫌がることすべて」がいじめの対象となるようになったと工藤先生は学校現場で感じてきました。関係性や状況に関わらず“嫌なことをされたらいじめ”と捉えるようになったからです。

「子ども同士のトラブルって日常的にそこらじゅうでありますよね? いじめの定義があまりにも広がりすぎたので、『いじめゼロ』なんてあり得ないんです。でもそれが『いじめ』と認められると、そこに大人が介入しなくてはなりません。だからいま、日本中が大変なことになっているんです」(工藤先生)

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