きょうだい喧嘩も解決! 型破り校長・工藤勇一が説く“ふだん使い“の民主主義
学校改革の旗手・工藤勇一氏「今こそ子どもたちに本当の民主主義教育を」 #2~子どものトラブル解決~
2023.01.14
横浜創英中学・高等学校長:工藤 勇一
「宿題」「定期テスト」「学級担任」「校則」など、学校の当たり前を次々に廃止し、常識を覆してきた千代田区立麴町中学校の元校長で、現在は私立横浜創英中・高の校長を務める工藤勇一(くどう・ゆういち)先生。
数々の学校改革は全て「学校は民主主義を学ぶ土台である」という信条に基づくものでした。
民主主義というと、日常生活からはかけ離れた大きな理念のように聞こえてしまいますが、工藤さんのいう民主主義はそうではありません。
学校で訓練して学ぶことはもちろん、家庭でのささいなトラブルやきょうだい喧嘩さえ、民主主義を学ぶ機会にすることができると言います。日頃から大人ができることについて、工藤先生に聞きました。
※第2回/全4回(#1を読む)
工藤勇一(くどう・ゆういち)PROFILE
横浜創英中学・高等学校長。1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部応用数学科卒。山形県公立中学校教員、東京都公立中学校教員、東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長などを経て、2014年から2020年3月まで千代田区立麴町中学校校長。宿題廃止・定期テスト廃止・固定担任制廃止などの教育改革を実行。一連の改革には文部科学省が視察に訪れ、メディアがこぞって取り上げるなど大きな話題に。
学校での活動が対話の訓練になる
選挙の投票率が低迷し、民主主義が遅れていると指摘される日本。「民主主義は自然と身に付くものではない。教えなければ分からないもの」と語る工藤勇一(くどう・ゆういち)氏は、2022年10月に出した新著『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力を育む』(哲学者・教育学者苫野一徳氏との共著/あさま社)で、子どもたちに民主主義を教える必要性があると強く訴えます。
工藤先生が行ってきた数々の学校改革は、対話を重ねて合意形成していくプロセスを経験させることが目的です。
工藤先生が6年間校長を務めた麴町中の体育祭では、「全員を楽しませる」という最上位目標に向かって生徒たちが対話を重ね、苦手に思う人がいる「全員リレー」を廃止するなど「誰一人置き去りにしない」体育祭が行われました。
これらが民主主義の学びにつながります。文化祭や体育祭の内容を子どもたちにゆだねたのもそのためです。こうして工藤先生は、さまざまな形で子どもたちに民主主義を学ぶ場を提供してきました。
「心の教育」ではなく「行動の教育」を
教育目標としてよく掲げられる「知・徳・体」の言葉が象徴するように、日本の学校は「思いやり」「心を一つに」といった「心の教育」を主軸としたものがほとんどです。
しかし工藤先生は「心の教育が民主主義教育を妨げている」と苦言を呈します。「思いやり」「みんな仲良く」「心を一つに」といった学校で当たり前に使われる一見素敵なフレーズが、対話の機会をなくしていると言います。
「日本の教育は対立が起きたら、すぐ『心の教育』で折り合いを付けようとする。『心の教育』は、じつはいろんなゆがみをうむことを学校は全く分かっていないですね。『心の教育』で折り合いを付けるとなると、どこかに無理が生じて結局、強いものに巻かれてしまうんです。
本当にやるべきことは子どものうちからの『行動の教育』、すなわち対話の訓練をすることです。まずはみんなが望む上位の目標とは何かを考え、その上位目標の下(もと)で握手して、自分の考えを修正しないと合意できないという訓練です。
トラブルが起きたとき、解決のための対話ができる人材がたくさんいる社会を目指す『行動の教育』こそが民主主義教育なんです」(工藤先生)
「平和でいたいの?」大人たちの正しい介入
「行動の教育」を実践するためには、子ども同士の対立が起きたとき、大人はどう導くことが正解なのでしょうか。工藤先生は、学校のグループ同士で起こりがちなトラブルを例に説明します。
「例えばグループ同士でもめて、殺伐(さつばつ)とした状態になっているとします。こういうとき、『あの子がこう言った』『これが許せない』と一般に子どもたちは感情的になっています。
これを解決しようと学校の先生が間に入るわけですが、そのときの対応の仕方が問題です。中には『お互いに言いたいことを徹底して言い合いなさい』なんてことをいう先生がいますが、多くの場合、これは最悪の結果を生むことになります。売り言葉に買い言葉。めちゃくちゃ悪化するんです。
だって感情にまかせて言いたいこと言いましょうってなると、『あなたのこういうとこが嫌いなの』と言い出すようになる。すると、とんでもないことになります」(工藤先生)
こうしたトラブルで大人たちが子どもに語りかけるべき問いは、
「平和でいたいの? いたくないの? どっちなの?」
というフレーズ。
「つまり子ども同士の喧嘩であっても、戦争と同じです」と工藤先生は言います。工藤先生は学校現場で次のように生徒たちに伝えてきました。
「冷たいようだけど、君らの感情は僕にはどうでもいい話なんだ。お互い嫌いであろうが何であろうが、僕にはどうすることもできない。できれば君らの憎しみ合いに僕は付き合いたくない。
大切なことは、君らには平和でいてほしいし、君ら自身が『平和でいたい』と思っているかどうかだ。平和でいたいことを望まないとすれば、戦いを望むわけだから、みんなで苦しむわけだね。これって戦争と一緒だよ。
感情は収まらなくても、平和に向けた活動をしたいのかしたくないのか。はっきりさせてほしい」
問題解決のためには感情を一度置かなくてはいけないこと、お互いにとって納得できる合意、つまり最上位目標で同意できるかということを自分たちで考えさせ、問題解決へ導きます。これこそが民主主義の視点を持った介入方法です。
避けたいのは、「子ども同士のトラブルに、下手に大人が介入すること」と工藤先生。前出の事例のように「言いたいことを言い合いなさい」とうながすことや、裁判官役となった大人が一方に「ごめんね」を言わせ、相手に「いいよ」と言わせることはNGです。
「こういう介入は最悪です。余計なお世話ですよね。大人が子どもたちの問題をどんどん大きくしていっている。きょうだい喧嘩だって同じです」(工藤先生)