7歳のときに日韓W杯を応援 日本代表・南野拓実選手 サッカーW杯への決意
子どもたちにゴールを届けたい[南野拓実インタビュー第3回]
2022.07.25
サッカーのワールドカップ(W杯)は、4年に一度、世界一を決めるための大会です。サッカーだけの大会ながら、全世界での視聴者数はオリンピックを上回っていることから、その人気ぶりがうかがえます。
2022年のW杯は、11月21日にカタールで開幕。7大会連続7回目の出場となる日本代表は、11月23日に初戦を迎え、過去最高成績であるベスト16を越えることが期待されています。
日本の10番をつける南野拓実選手にとっては、カタール大会が初めてのW杯となります。子どもたちに「世界の強豪と戦っているところを見てもらいたい」という南野選手。子どものころにあこがれた舞台を前に、意気込みを語ってくれました。 ※全3回の3回目です
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南野選手にとって「初めて」のW杯
2022年6月24日に行われた取材の数日後、所属元のリバプールFC、移籍先のASモナコFCの双方から公式発表があり、南野拓実選手は2022-23シーズンから4年契約でフランスのリーグ・アンの強豪ASモナコFCの一員となりました。
講談社のグローバルプロジェクト「Inspire Impossible Stories」のアンバサダーとして、モナコからワールドカップを目指す南野選手。最終回となるインタビューの第3回は、11月にカタールW杯も控える新シーズンとW杯の思い出について聞きました。
「新シーズンはW杯があります。日本代表チームとして掲げているベスト8以上という目標。これを達成するのはもちろん、個人としてはゴール数、アシスト数にこだわっていきたいと思っています。攻撃の選手は結果がすべてですからね」
1995年1月16日生まれの南野選手。初めての日本代表招集は、2014年4月、ブラジルW杯のおよそ2ヵ月前のことでした。アルベルト・ザッケローニ監督のもと、19歳でW杯本大会の予備登録メンバーにも選ばれました。
しかし、日本代表で初めてスタメンを飾ったのは4年5ヵ月後の2018年9月のこと。南野選手にとっては、近くて遠い場所が代表チームだったのかもしれません。
それでも森保一監督の初陣となるコスタリカ戦で先発出場すると、代表初ゴールを決め、勝利に貢献。以来、カタールW杯に向けたチームの中核を担っています。
そんな南野選手がW杯を意識したのは2002年の日韓W杯からだったそうです。
「なかでもグループリーグ第3節のチュニジア戦が印象に残っています。試合会場は大阪の長居スタジアム(現ヤンマースタジアム長居)。僕の地元で、セレッソ大阪のホームスタジアムです。そこで、森島選手(森島寛晃、現セレッソ大阪代表取締役社長)がゴールを決めました。
スタジアムで観戦することはできなかったんですけど、子ども会の集まりに友達と自転車で行って、みんなで応援したんですね。森島選手は地元セレッソのスター選手でしたし、ゴールシーンではみんなでわーっと盛り上がったのをよく覚えています」
15歳のときにW杯でプレーすることを目標に設定
7歳で一ファンとして楽しんだW杯の後、2010年の南アフリカW杯以降は見方が変わったと言います。
「南アフリカW杯のときはもうセレッソ大阪U‐15にいましたし、“いつか自分もここでプレーする”という目線で見ていました。だから、純粋にサッカー少年として応援していたW杯で印象深いのは、やっぱり日韓W杯ですね」
2014年のブラジルW杯では予備登録メンバー、2018年のロシアW杯ではメンバー外。出場すれば自身初となるカタールW杯に向け、子どもたちに見てもらいたいプレーを聞きました。
「まず、日本が世界の強豪国を相手に戦っているところを見てほしいです。そして、自分は攻撃の選手なのでゴールを決めるところを子どもたちに見せたいと思います」
カタールW杯で日本代表が入ったグループステージE組の対戦相手は、ドイツ、コスタリカ、スペイン。本当の強豪国と真正面からぶつかる組み合わせとなりました。
「すごく重要で、簡単ではないW杯です。だからこそ、そこで勝ちたいと思っています」
2018年9月、森保ジャパンの初陣となった「キリンチャレンジカップ2018」のコスタリカ戦から10月のパナマ戦、ウルグアイ戦と3戦連続先発出場した南野選手は、3試合連続の4ゴールを決めました。カタールW杯では、鮮烈な印象を残したあの活躍を再現するかのような爆発を期待しています。
取材・文:佐口賢作 / 構成:奥山典幸(マーベリック)
南野拓実(みなみの・たくみ)
1995年1月16日生まれ。大阪府出身。ASモナコFC所属。2013年セレッソ大阪で高卒ルーキーとしてクラブ史上初の開幕スタメンでプロデビュー。各年代の日本代表では中心選手として活躍し、19歳でA代表に選出された。2015年には、オーストリアの強豪FCレッドブル・ザルツブルグに移籍し欧州に活躍の舞台を移す。2019年に欧州CLリバプールFC戦での活躍を認められ、翌年、世界最高峰のクラブチームであるリバプールFCに所属。2022年6月リーグ・アンのASモナコFCに移籍。日本代表でも「10番」を背負う、世界に誇る日本サッカー界の至宝。2022年1月より講談社の「Inspire Impossible Stories」アンバサダーを務める。