不登校の始まりは担任の先生の大きな声だった
「先生が怖い」
息子が学校を休み始めたのは、小学2年生の6月。きっかけは担任の先生の怒鳴り声でした。教室という逃げ場のない空間に響く大きな声は、感受性の強い彼にとって耐えがたいものだったようです。
不登校が始まると、担任の先生は何度も家を訪ねるようになりました。けれど息子にとって家庭訪問は、安心できる時間ではありません。
先生の車の音が聞こえると、顔色が変わり、階段を駆け上がって自室の布団に潜り込んでしまう。
それでも私は、「せっかく先生が来てくれたのだから、挨拶くらいしなさい」と言って、息子を無理に玄関まで連れ出すこともありました。
担任の先生に家庭訪問までしてもらっていることへの申し訳なさもあり、せめて挨拶くらいはさせなければと思っていたのです。
子どもの味方でいたい気持ちと、学校から「理解のある親」と思われたい気持ち。当時の私は、その間で揺れていました。
表向きは休むことを受け止めている母親のように振る舞っていましたが、心の奥では「早く学校に行けるようになってほしい。そうしたら私もラクになれるのに」と願っていました。
「そのうち行けるはず」という期待が外れていく
先生が来るたび、息子は布団に潜り込んで会おうとしませんでした。そんな姿を見るのがつらくて、家庭訪問の頻度を少し控えてもらえないかと学校に相談しました。
すると学校からは、「息子さんが元気にしているかどうかを定期的に確認させてほしい」と伝えられました。
そこで私は、「息子が登校できそうなときには学校へ連れて行きます」と約束したのです。ただ、車には乗れても、学校に着くと降りることができません。
結局、車の中から先生に挨拶だけして帰ることを繰り返すうちに、学校へ向かうこと自体が、息子にとっても私にとっても負担になっていきました。
最初は週に1度ほど学校に顔を出していましたが、次第に月に1〜2度ほどになっていったのです。学年が変わるたびに、「今年こそは」と始業式に送り出しますが、数日もすると、また通えなくなってしまう。その繰り返しでした。
私の母に息子のことを相談すると、「そのうち行けるようになるでしょ」「あまり気に病まないで。大丈夫よ」と励ましの言葉が返ってきました。
けれど当時の私には、その言葉を受け止める余裕がありませんでした。
「そのうちって、いつ? どうして大丈夫だと言い切れるの?」
行き場のない怒りを母にぶつけてしまい、あとで自己嫌悪に陥ることもありました。適応指導教室、フリースクール、不登校の子たちの集まりにも足を運びました。
けれど、どこへ行っても息子の気持ちは動かず、「ここなら」と思える場所は見つかりません。あるとき、学校で顔を合わせた先生が、息子の様子を気にかけて声をかけてくださいました。
ところが、そのとき何気なく言われた「お母さんの気持ちが子どもに伝わりますからね」という一言が、私の心を深くえぐったのです。
私だって穏やかでいたい。責めずにいたい。でも、できない。
息子が学校に戻れないのは、私のせいなのだろうか。私がダメだから、この子も苦しいのだろうか、と自分を追い詰め始めたのです。
この頃の私は、周りの人たちがみんな敵のように見えていました。私たちを心配するようなことを言うくせに、助けてはくれないじゃないか。もう誰のことも信じられないし、誰にも会いたくない。
外に出れば何かを言われ、誰かと会えば傷つく。私ははじめて家に閉じこもる息子の気持ちが少しだけわかった気がしたのです。

















































































