
子どもを「学歴」で追い込む親にならないで! 日本で学歴が重視されてきた「時代遅れの理由」
学校の「当たり前」を考える 能力主義と子ども #3学歴社会のゆくえ (2/3) 1ページ目に戻る
2025.10.08
学歴重視に至った「日本の採用事情」とは
──著書『学歴社会は誰のため』の中では、日本で学歴が力を持ってきた理由や構造について詳細に解説しています。
勅使川原真衣氏(以下勅使川原):日本では学歴がもてはやされる一方で、企業の採用時にそれまで学んだ内容が求められることは、一部の職業を除いてほとんどありません。では、なぜ「学歴」が重視されるのか。それは、「仕事内容がはっきりと決まっていないから」です。

勅使川原:仕事の内容をあいまいにしたまま雇用関係を結ぶ日本特有のスタイルは、「メンバーシップ型雇用」と呼ばれ、欧米で一般的な「ジョブ型雇用(仕事内容を合意後に契約)」とは区別されます。
でも、仕事内容がわからなければ、適性を判断しようがありません。そこで重宝されたのが、「学歴」という指標なんです。学歴が何を示しているかといえば、「これまで努力してきた」実績です。
学生時代に真面目に勉強し、熾烈な受験を勝ち抜いてきた人なら、就職しても頑張ってくれるに違いない。いい換えれば学歴は、入社後の「訓練可能性」として機能してきたわけです。
──そうした採用が当たり前だと思っていましたが、冷静に考えるとちょっと変ですね。
勅使川原:そうなんです。今なら不可思議に思える「メンバーシップ型雇用」が広まったのには、時代背景が大きく関係しています。
戦後の急速な経済成長期は、特定の仕事に限定して採用していては間に合いませんでした。だから内容はあいまいにしたままで大量の人員を雇用し、どんな仕事でも柔軟にこなしてくれる社員を育成していく方法を選んだのです。
社員側には終身雇用が保障されるといったメリットもあり、結果的に労使ともに納得したため、「メンバーシップ型」が確立していきました。
学歴がこうした時代に果たした役割は否定しません。でも、人口が減少し、少子化傾向の現代では、学歴で採用をする意味がほとんどないように感じます。むしろ、学歴や能力主義を前提にしていると、仕事がうまく回らないのです。
学歴採用の落とし穴
──「学歴」を基準にしているとうまくいかないとは、どういうことでしょうか。
勅使川原:学歴(能力)が高い人を採用したい、という考えの根底には、一人で何でもできる「万能な個人」さえいればOK。スーパーマン的な存在をたくさん集めれば仕事はうまくいく、という発想があります。
ですが、社会の現状をみても、長年労働の現場を見てきた私の実感としても、こうした視点は方向がズレているといわざるを得ません。
なぜなら、多くの仕事は「チームワーク」だからです。個人業務のイメージが強い理系の研究職でさえ、チーム=組織での仕事が基本です。優秀な個人を集めたからといって、組織がうまく動くわけではありません。メンバーが持つ「機能」が十分に発揮され、互いにかみ合ったときに初めて、成果が上がる状態になるのです。
個人を能力ではなく、「機能」でとらえる視点は前回も説明しました。それぞれの「持ち味」(車のパーツにたとえるとアクセル、ブレーキなど)が組織にバランスよく存在し、互いに生かし合いながら存分に機能を発揮できる環境が大事です。
「機能=持ち味」は、学歴ではわかりません。東大卒の人たちが、みんな似たような機能を持っているはずがありませんから。
仕事、組織という観点では、能力ではなく機能に注目すべきであり、その人の機能が組織の中でどの分野を担ってくれるのか、という全体のバランスが重要です。つまり、個人を見過ぎないことが大切なのです。