家事も育児もカンペキにこなしていて、仕事でもバリバリ活躍。しかも、美しい!
人気料理家の松山絵美さんは、ママライターの私にとって、まさにそんな憧れの存在。どうすれば、松山さんのような“きれいなママ”になれるの?
ということで、4児の育児をしながら、レシピ投稿サイト『Nadia(ナディア)』でNadia Artistとして活躍する松山さんにお話を伺いました。
第3回は、7歳から12歳までの4人のお子さんを育てる中で、ツラかったエピソードとその乗り越え方など、子育てのあれこれについて伺いました。
全4回の3回目。#1を読む、#2を読む
最後には松山さんの最新刊のプレゼントもあるのでお見逃しなく!
すべてが不安で大変 がんばりすぎた双子育児
――4人の子育てで、いちばん大変だったのはいつ頃でしょうか?
松山絵美さん(以下、松山さん)「やっぱり双子の長男・長女が生まれた頃ですね。当時29歳。病院の方針もあり、予定日の1ヵ月前から入院して普通分娩でした。
出血多量で貧血状態の中での初めての育児……こんなにも大変なのかと。ツラすぎて、妊娠前から22㎏増えた体重が、出産後1ヵ月で元に戻りました。
ふたりとも夜泣きの激しい赤ちゃんで、順番に泣くから、毎日が寝不足。同じタイミングで泣き出したときは、双子を小脇に抱えて同時授乳したこともあります。
どっちがどれぐらい飲んだかわからないのが不安で、乳児用の体重計を買って、授乳のたびに体重をはかっていましたね。双子ならではですが、前に抱っこ、後ろにおんぶをした状態で、料理をしていた時期もあります(笑)。
もともとまじめでストイックな性格でしたし、初めての育児でもあったので、離乳食も教科書通り、細かくグラムまではかってあげていました。
なかなか食べてくれないと悩み、心配で双子を抱えて病院に連れていったら、『お母さん、大丈夫ですよ。こんなにまるまる太っているんだから!』と、お医者様に言われたことも(笑)。
それぐらい全てが不安でしたし、正直ツラすぎて覚えていないこともたくさんあります」
――初めての育児はひとりでも大変なのに、双子だと倍ですもんね。
松山さん「そうですね。ふたりを連れて外出するのも難しくて、横並びの双子用ベビーカーを押して歩いていたら『邪魔だ』と心ない言葉をぶつけられたり、ベビーカーを折り畳んでバスに乗っても、場所を取るので文句を言われたり……。怖くなって、家にこもることも多かったです。
当時、双子の育児や離乳食の様子をブログにまとめていたのですが、今読み返すと『なんでこんなにがんばっていたんだろう』と自分でも思うぐらい、がんばっていましたね。
だから、双子の3年後、次女が生まれたときは『赤ちゃんがひとりって、こんなにラクなんだ!!』と、双子育児とのギャップにビックリ(笑)。
赤ちゃんのおしゃれを楽しんだり、ベビーカーひとつでお買い物へ出かけたり、双子のときにはしたくてもできなかったことが、次女のときにようやくできました」
4児のママになって上手に割り切れるように
――次女の後に次男が生まれ、4児のママになりました。4児の子育てというのは、いかがですか?
松山さん「次男が生まれたとき、双子の長男・長女は5歳でいろいろなことが理解できるようになっていたのですが、次女は1歳9ヵ月。見事に赤ちゃん返りしてしまいました。
ミルクをほしがるようになって、おしゃぶりも吸って……。髪が生えていなくて見た目も赤ちゃんみたいだったし、大きな次男と体のサイズもさほど変わらず、また双子を育てているような気分でしたね(笑)。
4人もいると、移動するだけでもとにかく大変なんです。次女が次男にベビーカーをゆずらなかったので、双子を連れてベビーカーに次女を乗せ、次男は抱っこかおんぶで、いつも大移動していました。
でも、子どもが増えるたびに『まあ、いいか』という気持ちが芽生えましたね。双子のときは預ける際にしか使わなかった市販のベビーフードに頼ったり、母乳にこだわらずミルクにしたり。多少泣かせても『しょうがない』と思えるようになったので、今までやってこられたんだと思います。
夫が4人きょうだいなのもあって、結婚した頃『子どもは、4人はほしいかな』と夫婦で話していたので、ある程度覚悟していたところもありますし(笑)。あきらめというか、割り切りがうまくできるようになって、ずいぶん気持ちがラクになりましたね」
――ツラかった時期に救われた経験、支えになったことはありますか?
松山さん「まだ次男が生まれる前ですが、双子と次女を連れて買い物へ行ったときに、急に雨が降ってきたことがありました。たくさん買い物をしたので、荷物が重くてベビーカーが倒れてしまい、乗っていた次女が大泣き。
双子もビックリして泣き出してしまい、雨の中、傘をさすこともできず、大泣きする3人を連れてただただアタフタするばかりで。
すると、通りかかったご婦人が『大変な思い出は宝物に変わるわよ! がんばってね』と優しく声をかけてくださり、涙したことがあります。
今でもすごく心に残っていて、その方のお顔もはっきりと覚えているほど。『私もこういう言葉をかけられる人間になりたい』と思った出来事でしたね」