働く2児ママが「脳出血」 右半身が動かない! ICUから転院 「リハビリへの覚悟」

脳出血で緊急入院! 【萩原はるな:ワンオペママの闘病記】#2〜先の見えない入院生活編〜

ライター:萩原 はるな

久々に家族4人がそろった介護タクシー

子どもたちに、なるべく迷惑がかからないようにしなくては!

私は心機一転、リハビリに励むことにした。

リハビリは平日1日につき40分程度、ほぼ動かない手足をマッサージしてもらったり、足に装具をつけて立つ練習をしたり、といった内容。いつも、あっという間に終わってしまった。

ただ、一番苦労したのが言語療法。回りにくい口で、早口言葉を言うもどかしさと苦労ときたら! 

しかも担当の言語療法士は紛れもないS体質で、にっこりと「では次、サ行とガ行を」と、美しく微笑みながら、もっとも言いにくい部分を的確に指定してくるのだ(でも、感謝してます!)。

顔の右側が動きにくかったため、食べやすい「トロミ食」からスタート。味もかなり薄いけど、食事のたびに、ものが食べられる喜びと、左手のポテンシャルを感じていた。 写真=萩原はるな

こうして入院生活に慣れてきたころ、リハビリ専門病院への受け入れと日程が決まった。転院は、倒れてから2週間と2日後の8月10日。

移動は車イスごと乗れるバンタイプの介護タクシーで、コロナ禍のため、転院先の病院に入れる付き添い人は一人だけだという。

そう、コロナ禍! 未曾有の事態のおかげで、私は一度も子どもたちと直接触れ合うことができずにいた。3日に1回ほど、夫か母が着替えや必要品の差し入れに来てくれるものの、面会は一切NG。

ナースステーションの向こうにあるエレベーターホールから、ガラス越しに手を振るのが精一杯だ。

いつも子どもたちを連れてきてくれるのだが、直接話すことはできず、ガラスの向こうの姿を見ながらスマホで通話をするのみ。

エレベーターが閉まる最後の瞬間まで、ずっと手を振り続けている娘と息子の姿が、いつも涙でにじんでぼやけていた。

「一緒に病院には入れないけど、介護タクシーの移動は一緒にできるで!」

転院を控えた前日、そう夫からLINEが入る。そして転院の日。私はうれしすぎて、5時前に目覚めてしまった。

車イスに乗って病院を後にし、介護タクシーに乗り込む。右側の座席に息子、左前に娘、その右側に夫が座った。

転院先の病院は、車で30分ちょっとくらいの距離にある。たった3週間とはいえ、久しぶりに外に出た私には、窓の外の景色がなんだか新鮮に映った。

同時に話しかけてくる娘と息子と、「2人いっぺんに話されると、わかんないよ!」と笑いながらいろいろ話をする。久しぶりの家族の時間。子どもは2人とも、いい色に日焼けしていた。

少し渋滞していたものの、リハビリ病院への到着はあっという間だった。「僕が車イスをひいていく!」と言う息子をなだめ、病院のエントランスで子どもたちと別れることになった。

一緒に帰りたいなあ……。

左手にほっそりとした娘の手、右手にはふかふかの息子の手。それぞれ、つないだ手を離すのは本当に嫌だった。

でもこのまま、車イスから一人で立てない状態で帰るわけにはいかない。私は覚悟を決めて、子どもたちの手を離した。

ここから、退院に向けた、長い長い未知の戦いが始まるのだ。

<つづく>

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はぎわら はるな

萩原 はるな

ライター

情報誌『TOKYO★1週間』の創刊スタッフとして参加後、フリーのエディター・ライターとなる。現在は書籍とムックの編集及び執筆、女性誌やグルメ誌などで、グルメ、恋愛&結婚、美容、生活実用、インタビュー記事のライティング、ノベライズなどを手がける。主な著作は『50回目のファーストキス』『ハピゴラッキョ!』など。長女(2009年生まれ)、長男(2012年生まれ)のママ。

情報誌『TOKYO★1週間』の創刊スタッフとして参加後、フリーのエディター・ライターとなる。現在は書籍とムックの編集及び執筆、女性誌やグルメ誌などで、グルメ、恋愛&結婚、美容、生活実用、インタビュー記事のライティング、ノベライズなどを手がける。主な著作は『50回目のファーストキス』『ハピゴラッキョ!』など。長女(2009年生まれ)、長男(2012年生まれ)のママ。