2021年7月、突然、脳出血で倒れてしまったフリーライターのママ(48歳)。パパと小学生の子ども2人を家に置いての入院生活は約5ヵ月にも及びました。
ワンオペ育児に悪戦苦闘したパパの奮闘記(※1)はすでにお伝えしましたが、病に倒れたママ当人は、どんな思いで過ごしてきたのでしょうか。
※1=妻が脳出血! 戦力外パパと2児の奮闘記(全6回)
2021年12月、無事退院し、晴れて家に帰ったママ。思うように動かない体で、家族との新しい生活がはじまりました。
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やっと帰ってきた~! 娘と息子に挟まれて眠る幸せ
7月25日に脳出血で突然倒れて急性期病院に運ばれ、8月11日にリハビリ専門病院に転院。それから日々リハビリに励み、ついに12月の退院の日を迎えることができた私。
退院当日、子どもたちは学校、夫は仕事だったため、母が車で迎えにきてくれた。その足で免許センターに向かい、診断書を見せて試験を受け、めでたく合格。晴れて、運転再開のお墨付きをもらうことができた。
5ヵ月ぶりの我が家。車から降りたり家に上がったり、病院内での生活ではしてこなかった動きがあることに驚く。家までの廊下やエレベーターは懐かしい「いつもの場所」のままなのに、自分の動きや感覚が以前と違うことにとても戸惑ってしまった。
家に上がる、というたったそれだけのことでも大仕事。なんとか玄関に座って靴を脱ぎ、装具を外して、まわりにつかまりながら立ち上がって家に入る。なんでもかんでも、以前の倍以上時間がかかることに驚いた。
ドアを開けるやいなや、息子が「お母さ~ん! おかえり!」と飛びついてくる。その日はデパートに行って、子どもたちが大好きな小籠包のお店で、退院祝いをすることになった。
杖をつきながら、母と夫、娘、息子と駅前のタクシー乗り場まで歩く。ゆっくりだけど、また家族とこうして駅までの道を歩けるなんて……! 家族みんなで、私の歩く速度に合わせてくれた。
私の右側を歩く息子、左側にいる娘が両方からくっついてくる。「歩きづらいよ!」と文句を言いながらも、「そうそう、いつもこんな感じで歩いていたっけ」と胸がいっぱいになった。
久しぶりの小籠包は最高! 5ヵ月ぶりに、ビールを口にする。う~ん、やばい。おいしすぎる。コップ1杯でクラクラに。
かつては飲み会ならジョッキを8杯ほど飲んでいた私、ずいぶん燃費が良くなったもんだ。たまにはこうやって、少しビールが飲めるとうれしいなあ。
その日は右側の息子、左側の娘に挟まれて寝た。くっついてくる子どもたちの体温を感じながら、「あ~、やっとうちに帰ってきたんだ」と実感する。これから「お母さん」としての生活が、また始まるのだ。
にぎやかな「日常生活」がスタート
「電車に乗るときは、一緒に行くで」と退院前に言っていた夫は、退院後に表参道の美容院まで付き添ってくれた。今まで、こんなこと一度もなかったのに!
夫は私が倒れて以来、いろんな思いやりを見せてくれた。それまで夫のことは「私以外の人には、とても優しい人」と思っていたが、私が「優しくしてもらう必要はありません状態」だったのかもなあ。いざとなると、ちゃんと優しくしてくれることがわかった。
でも、子どもたちに対しては、ホントによくキレるようになっていた。「ゴミ捨てろ、って何百回言わすんや!」「誰や、こんなところにぬいぐるみ置いとくやつは!」と、日々キレまくっている。
以前は、まったくそんなことは言わなかったのに……。と考えてみたところ、「そうか、私がいない日々を経て、やっと子どもたちのことが『人ごと』ではなく『子育て当事者』なったんだ」と、ハタと気がついた。
子どもたちはというと、最初こそいろいろ気をつかっていたようだが、すぐにもとどおりのワガママ言い放題状態に。
「お母さんは、前と同じじゃないんだから!」と、ときどき思い出させないと、つい忘れてしまうようだ。
でも荷物を持ってくれたり、料理をちょっと手伝ってくれたり、少しはお手伝いをするようになった、と思う。
「子どもたちに気を使わせたり、迷惑をかけるのは嫌だなあ」と入院中からずっと思っていたので、まあ、理想的な状況になった、ともいえるだろう。