脳出血のママが退院!子育て戦力外パパが待ち望んだ「家族の再出発」

妻が脳出血!戦力外パパと2児の奮闘記 #6最終回~家族4人の新生活編~

ライター:佐野 勝大

2度目の「子育ての戦力外通告」も近い!?

妻の退院にともなって「ワンオペ育児」が終了しても、家事はほとんど僕がしなければいけないだろうと覚悟を決めていた。何しろ、妻の利き手である右手は、まだまだ思うように動かないからだ。

退院する際、ドクターからも「しばらくの間、家事は旦那さんがメインでやってください。奥さんに無理をさせないでくださいよ」と釘を刺されていた。

妻が戻ってきて最初の2~3日は、その言いつけをしっかり守り、家事のすべてを僕がこなしていた。妻のために、ランチにうどんをつくったりもした。ところが次第に、家事や子育てにおける僕の出番が減っていった。

なぜなら、右手と右足が不自由な妻が、料理も、洗濯も、掃除も、やってくれるからだ。退院から数日で、夕食には妻の手料理が並ぶようになった。

僕が洗濯機をまわそうと事務所から自宅に戻ると、すでに洗濯物が干されている状態。ゴミ屋敷さながらだったリビングも、日ごとに片付き、床や机にものが散乱した状態ではなくなっていった。

少しずつだが、妻は車での息子のスイミングスクールや少年野球の送り迎えも再開。退院から50日ほどが過ぎた今、気づけば僕が毎日している家事といえば、食器洗いぐらいになった。

驚くことに、入院前とさほど変わらない日常が帰ってきた。

右の手足をまったく動かすことができなかった妻が、ここまで回復するとは想像すらしていなかった僕には、この「当たり前すぎる日常」がどれほどありがたく、うれしかったことだろう。

かつて僕が馬車馬のように仕事に打ち込めていたのは、文句も言わずに家事と子育てをすべて引き受けてくれていた妻のおかげだったということも、身にしみてわかった。

そしてなによりの収穫は、「ワンオペ育児」を通して、大変だけどもおもしろい子育ての魅力がしみじみとわかったことだ。

僕たち家族をどん底に陥れた妻の入院は、決して悪いことばかりではなかった。
そんな風に考えられる日が来るなんて、当時は思ってもみなかった。

まったく動かなかった妻の右手は、包丁を握り、柔らかいものなら切れるまでに回復した。 写真:佐野勝大

そんなある日、「私のことを気づかってくれなくなったよね?」と妻に言われてしまった。こんなやりとりができること自体が、幸せなのだ。「ちょっとは気づかえよ!」という妻の容赦ないツッコミ、これすらもうれしく感じてしまう。

僕が、再び子育ての戦力外通告を受ける日も、そう遠くないかもしれない。

……いや、それじゃアカンやろ!(笑)

<了>

※「妻が脳出血!戦力外パパと2児の奮闘記」は全6回です。

第1回(#1) 突然妻が倒れて「子育て戦力外」から「ワンオペ育児」に!パパの絶望の1日
第2回(#2) 妻の脳出血から1ヵ月 子育て戦力外パパの「混乱ワンオペ育児」でゴミ屋敷に
第3回(#3) 妻の入院1ヵ月半「ワンオペ育児」の子育て戦力外パパが悪戦苦闘でキレまくり!
第4回(#4) ワンオペ育児3ヵ月! 戦力外パパに女性応援団? 涙した我が家の味
第5回(#5) 妻が倒れて4ヵ月! 戦力外パパ&子どもは大きく成長しママには回復の兆し!!

16 件
さの かつだい

佐野 勝大

ライター

さのかつだい 1974年生まれ。ノンジャンルで仕事をこなす関西出身のフリーライター。年400本以上と、精力的に取材活動を行っている。年間の休日が10日前後と、ワークライフバランスがまったくとれていないことが悩み。2児の父だが、育児にほぼ参加しなかったため、長女が0歳の頃に妻から子育ての戦力外通告を受けた。

さのかつだい 1974年生まれ。ノンジャンルで仕事をこなす関西出身のフリーライター。年400本以上と、精力的に取材活動を行っている。年間の休日が10日前後と、ワークライフバランスがまったくとれていないことが悩み。2児の父だが、育児にほぼ参加しなかったため、長女が0歳の頃に妻から子育ての戦力外通告を受けた。