2021年7月にママが倒れて、「子育て戦力外」と言われたフリーライターのパパ(47歳)が、一変して「ワンオペ育児」を始めることに。
育児も家事もおぼつかず、あわただしい日々でしたが、4ヵ月半経った12月にママがやっと退院。後遺症が残ったママとの家族4人、新たな暮らしがスタートしました。
ママの入院をきっかけに、変わり始めたある家族の奮闘記。
第6回は「家族4人の新生活編」です。
(#1、#2、#3、#4を読む)
子どもたちから大人気の妻に嫉妬
2021年12月8日の夜は、娘と息子と事務所で川の字になって寝た。ペラッペラのせんべい布団で身を寄せ合って3人で眠る、最後の夜だ。明後日には妻が4ヵ月半もの入院を終え、家に帰ってくる。
僕は毎晩遅くまで仕事をしなければならないことから、妻が入院してからは自宅と同じマンション内の事務所に布団を敷いて、よく子どもたちを寝かせていた。
ただ、僕が一人暮らしをスタートさせた18歳のときから使い続けているせんべい布団だけあって、二枚重ねにしてもお風呂の足拭きマットの上で寝ているような寝心地。最初の頃は、朝起きると「身体の節々が痛くなる」と、子どもたちは事務所で寝るのを嫌がっていた。
ただ、4ヵ月以上が過ぎると、なんらかの耐性ができたのか、そんな状況でも快適に寝られるようになったようだ。特に息子は、なぜか事務所で寝るのを好むように。妻の退院が近づくころには、義母が泊まりに来てくれた日でも、率先して僕と事務所で寝るようになっていた。
翌日は、義母が駆けつけてきてくれ、退院する妻を迎え入れる準備が整った。ただ、部屋は相変わらずのありさまだ。
「汚い部屋に帰るの、嫌だなぁ」と妻からLINEが届くも、掃除する余裕などなかったので、そっと既読スルーにしておいた。
そして迎えた12月10日は、馬車馬ライターの僕にとって数ヵ月ぶりの休日。義母が運転してくれる車で、退院する妻を迎えに病院へと向かう。その日の朝、娘と息子に「学校から帰ったら、お母さんおるからな」と伝えると、とてもうれしそうにしていた。
ところが実際は、妻は新たな運転免許証を発行するための検査が必要で、退院したその足で近所の眼科へ。その間に子どもたちは帰宅してしまい、家にお母さんがいなくて、がっかりしたようだ。
今回のことで初めて知ったのだが、身体の一部が麻痺したり、自由がきかなくなったりした場合、運転を再開させるには免許センターで特別な手続きが必要なのだ。ちなみに妻はその後、無事に新たな運転免許を取得することができた。
コロナ禍の入院ということもあり、この4ヵ月半は面会もままならなかった。久しぶりに妻との再会を果たした娘と息子は、「お母さん」「お母さん」の大合唱。まるで小さい子どものように、妻にくっついて離れようとしない。
不思議なもので、「ワンオペパパ育児」の間、子どもたちを独り占めしていた僕は、妻に軽く嫉妬を覚えた。
妻に指摘された僕の子どもに対する変化
妻が入院する前と退院してからで、大きく変わったことと言えば、妻が毎晩ビールを飲むのをやめたこと。
もともと無類のビール好きだったが、入院中にドクターから飲酒を控えるように指導されたことと、自分でもいろいろ考えたようで、アルコールはときどきたしなむ程度になったのだ。
脳出血は再発のリスクが高いと聞いていたので、僕は「一緒に頑張ろうや! オレもタバコやめるし」と、入院中の妻にLINEで宣言。退院後、妻はしっかりと約束を守っている。
いっぽうの僕はといえば、「11月15日の誕生日まで」「妻が退院する日まで」「年内いっぱいで」と目標を決めては破り続け、2022年1月を迎えた今も禁煙に成功できていない。
自分ではまったく意識していなかったが、「ワンオペ育児」を経て、僕の子どもに対する向き合い方が変わったらしい。
妻が言うには、「子どもたちによく、あれこれ注意するようになった」とのこと。きっと、「ワンオペ育児」でシャウトしまくっていたころの名残りなのだろう。
「以前と違って、子育てが他人事ではなくなったからだよ」と妻に言われて、思わず納得。それと同時に、「ようやく親らしくなれた!」と誇らしい気持ちになった。