【不登校児】がいる家庭 “当事者”になって初めてわかる「重み」「辛さ」「消耗」とは…気鋭の出版ジャーナリストが初めて明かした

不登校児がいる家庭へ 当事者だから語れること

出版ジャーナリスト:飯田 一史

写真:years/イメージマート
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文部科学省の調査(2023年)によると、小・中学校における不登校児童生徒数は過去最多の34万人を超えました。

特に夏休みなどの長期休暇明けは、「学校に行きたくない」という子が増え、9月1日は18歳以下の自殺者が最も増える日とも言われています(文科省「18歳以下の日別自殺者数より」)。

「──これをたんに『数字』として聞いていたときの話と、当事者として実際そうなったときの重みはまるで違う。そうなった、あるいはそうなっている親や、不登校当事者に向けて、書いてみたい」

そう語るのは、出版ジャーナリストの飯田一史さんです。今回、飯田さんが「不登校児がいる家庭」の当事者だからこそ感じる、本当の大変さを初めて語りました。

(全1回)

学校以外の選択肢を探すことの大変さ

うちの子どもは小1のころから学校に行けたり、行けなかったり(行ったり行かなかったり)で、行けても朝から授業時間が終わるまで、ずっと学校で過ごせる日はなかなかない。

こういう話をすると、不登校の子どもを持ったことがない人からは「最近は学校に行かなくても勉強できるもんね」等々、「不登校でも別に悪くないよね」的な反応がたいてい返ってくる。

こちらもべつに悪いとは思っていない。かといって、良いわけでもない。

学校に行かない(行けない)場合、どうやって時間をすごしてもらうのが親と子お互いにとってベターなのかを見つけること、そしてそれが安定して続くかどうかの見通しを得るまでが、はてしなく大変だ。

小1のときは、とくに行けない日が長く続いたので、これはもう小学校に通わせる以外の選択肢を探すしかないなと思って、あれこれ試した。いま振りかえっても本当に消耗した。

その後、学年も変わり、学校側にも理解と対応を求めたり、家庭内でも親子間で妥協点が見出されたことで、長期間学校に行かない状態は今のところ回避できている。

もっとも、「まったく行かない」(行けない)ならもうそれはそういうものとして受けとめるしかないが、今のように毎朝、行けそうなのかムリなのか、行くなら何時間目からなのかを交渉・調整し、その時間に学校に送るのは、正直言ってこれはこれでとても大変だ。

ただ今回は、「学校に行かない場合の別の道探し」について少し書いておきたい。

子どもの「選択肢がある」ことと「やりたい」と思うかは別の話

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