
不登校のキミへ…タブレット純 イジメられ何度も死にたかったぼくが死ななかったワケ
シリーズ「不登校のキミとその親へ」#9‐1 歌手・お笑いタレント タブレット純さん~子どもたちへ~
2025.07.26
歌手・お笑いタレント:タブレット純
好きなことが救ってくれた
あらためて中学時代のことを思い出すと、我ながら「よく死ななかったな」と思います。
ぼくは地元の公立小中学校に通っていましたが、小学校時代からイジメを受けていました。いちばんひどかったのは中学2年生のころかな。今思うと、みんなのストレス解消の道具だったんですよね。
いろんな理由をつけて順番にデコピンされたり、「お前、生きてる価値あるの?」「ほら、そっから飛び降りたら死ねるよ」と言われたり。もっとひどい目に遭っている子どももいると言われるかもしれませんけど、ぼくにとってはハードな毎日でした。
それでも当時「学校を休む」という選択肢は思いつかなかったんですよね。そういう時代だったせいもあるけど、学校には行くもんだという思い込みが強かったのかな。
「もう死んじゃいたい」と思ったことは何度もあります。でも、もし自分が死んだら親がどうにかなっちゃうんじゃないかと考えると、行動に移す勇気は出ませんでした。
死ななかった理由として、没頭している趣味があったというのも大きかったと思います。学校うんぬんより、昭和歌謡という死ぬほど好きなものがあった。授業中も「今度の土日には、どこの中古レコード屋さんに行こうか」なんてことばっかり考えてたんです。
インターネットもなかったので、調べがいがあるというか、未知の世界があまりにも広大すぎた。知りたいことが山ほどあったから、まだ死んだらもったいないと思っていたんですよね。
趣味が自分を救ってくれたというか、昭和歌謡に救われたというか。学校と家庭が世界のすべてだと思っちゃうと逃げ場がないけど、そこはありがたかったですね。


イジメた相手は覚えてすらいない
そもそも、ぼくはほとんど「死んでいるようなもの」だったんです。小学校のときから、自分のジェンダーはほかの人とは違うことに気が付いていた。大人になって幸せな人生を歩んでいくイメージはぜんぜんなくて、どこか人生を捨てていた部分があったかもしれない。
当時「霊界の伝道師」として人気だった俳優の丹波哲郎さんの本をよく読んでいたこともあって、「この世は地獄だ」と思っている節もありました。それに、大好きだった昭和歌謡には不幸な歌が多い。人生や世の中に対する期待値が低かったことも、死を選ばずにすんだ理由かもしれません。他人や自分に対しても、最初から多くを期待していませんでした。
大人になってから、中学時代にぼくを熱心にイジメていたクラスメイトと再会しました。ちょっと緊張してたら、彼は「俺だけはお前にやさしかったよな」と明るく言うんです。イジメをしている側なんて、その程度の認識なんですよね。そんなヤツらのために死ぬなんてバカバカしすぎる。イジメた側は家に帰ったらイジメてたことなんて忘れてますよ。
ぼくの個人的な経験が、今まさに「死」を考えている子どもたちの役に立つのかどうか、それはわかりません。でも、はっきり言えるのは、今がどんなにつらくても「死」を選んではいけない、必ず「生きていてよかった」と思える日が来るということです。
学校がすべてではない。学校の外に目を向ければ、自分が好きなもの、楽しいと思えるものが必ずあります。
それらは、今の苦しみをやわらげてくれるだけじゃなくて、あなたの人生の支えになるかもしれない。ただし、ネットやスマホをいじっていても、そういう出合いはないでしょうね。
何でもいいから、とりあえず行動してみることをオススメします。
取材・文/石原壮一郎

連載は全3回 (※公開時よりリンク有効)

石原 壮一郎
コラムニスト。1963年三重県生まれ。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』でデビュー。以来、数多くの著作や各種メディアでの発信を通して、大人としてのコミュニケーションのあり方や、その重要性と素晴らしさと実践的な知恵を日本に根付かせている。女児(2019年生まれ)の現役ジイジ。 おもな著書に『大人力検定』『大人の超ネットマナー講座』『昭和だョ!全員集合』『大人の言葉の選び方』『失礼な一言』など。故郷の名物を応援する「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」も務める。 萩本欽一がマヌケの素晴らしさを伝える『マヌケのすすめ』(ダイヤモンド社)、林家木久扇がバカの素晴らしさを伝える『バカのすすめ』(ダイヤモンド社)、毒蝮三太夫が高齢者にまつわる悩みに答える『70歳からの人生相談』(文藝春秋)では構成を担当。 2024年秋には、何かと厄介な周囲の「昭和人間」、そして「昭和人間」である自分自身との付き合い方を考察した『昭和人間のトリセツ』(日経プレミアシリーズ)が話題を呼んだ。 写真:いしはらなつか
コラムニスト。1963年三重県生まれ。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』でデビュー。以来、数多くの著作や各種メディアでの発信を通して、大人としてのコミュニケーションのあり方や、その重要性と素晴らしさと実践的な知恵を日本に根付かせている。女児(2019年生まれ)の現役ジイジ。 おもな著書に『大人力検定』『大人の超ネットマナー講座』『昭和だョ!全員集合』『大人の言葉の選び方』『失礼な一言』など。故郷の名物を応援する「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」も務める。 萩本欽一がマヌケの素晴らしさを伝える『マヌケのすすめ』(ダイヤモンド社)、林家木久扇がバカの素晴らしさを伝える『バカのすすめ』(ダイヤモンド社)、毒蝮三太夫が高齢者にまつわる悩みに答える『70歳からの人生相談』(文藝春秋)では構成を担当。 2024年秋には、何かと厄介な周囲の「昭和人間」、そして「昭和人間」である自分自身との付き合い方を考察した『昭和人間のトリセツ』(日経プレミアシリーズ)が話題を呼んだ。 写真:いしはらなつか
タブレット純
1974年生まれ。神奈川県出身。幼少期より古い歌謡曲に目覚め、思春期は中古レコードを蒐集(しゅうしゅう)しながら愛聴、研究に没頭する。 古本屋、介護職などの仕事を経て、ムード歌謡の伝説的グループ『和田弘とマヒナスターズ』にボーカルで加入。グループ解散後、ライブハウスなどで活躍し、寄席・お笑いライブにも進出。「ムード歌謡漫談」という新ジャンルを確立し、唯一無二の存在として人気に。テレビ、ラジオ、連載等のレギュラー多数。 ●オフィシャルブログ「タブレット純の世界」 ●株式会社トルバ プロフィール
1974年生まれ。神奈川県出身。幼少期より古い歌謡曲に目覚め、思春期は中古レコードを蒐集(しゅうしゅう)しながら愛聴、研究に没頭する。 古本屋、介護職などの仕事を経て、ムード歌謡の伝説的グループ『和田弘とマヒナスターズ』にボーカルで加入。グループ解散後、ライブハウスなどで活躍し、寄席・お笑いライブにも進出。「ムード歌謡漫談」という新ジャンルを確立し、唯一無二の存在として人気に。テレビ、ラジオ、連載等のレギュラー多数。 ●オフィシャルブログ「タブレット純の世界」 ●株式会社トルバ プロフィール