ドラマ『タツキ先生は甘すぎる!』に冷ややかな大人たち──その「悲しすぎる無理解」を現場を見た専門家から紐解く

ドラマ『タツキ先生は甘すぎる!』✕新書『フリースクールという選択』1/2 (2/3) 1ページ目に戻る

「こんなことで学校を休むなんて過保護だ」「ただ遊んでばかりで逃げ癖がつく」といった声は、一見するともっともらしい社会常識のように語られます。

実際には当事者親子の苦悩や回復のプロセスを無視した、あまりにも「悲しすぎる無理解」に基づいています。筆者もかつて子どもの不登校に悩み、周囲の何気ない言葉に傷ついた経験があるため、コメント欄の言葉に胸が痛みました。

世論のゆがみを乗り越え、現実のフリースクールが果たすべき真の役割を理解するために、教育ジャーナリスト・おおたとしまさ氏の新書『フリースクールという選択』(講談社+α新書)に描かれたリアルな実態に目を向けてみたいと思います。

この本が提示する現場のルポや専門知は、ドラマの「甘さ」の裏側にある必然性を論理的に解き明かしてくれます。

タツキが体現する「甘さ」の真意と「ただ遊ぶこと」の意義

ドラマの中で、町田啓太演じるフリースクールのスタッフ・浮田タツキは、「楽しいことだけ、やろう!」をモットーに、子どもたちとただ遊んで過ごしているように見えます。

タツキの姿勢に対し、松本穂香演じる同僚の青峰しずくが疑問を抱くのと同様に、一部の視聴者からも「現実の社会はそんなに甘くない」「安易な逃げ場を作っているだけだ」という批判が寄せられています。

しかし、タツキがこの「甘すぎる」方針を徹底する背景には、かつて彼自身が実の息子を追い詰め、不登校・引きこもりにしてしまったという痛烈な過去の悔恨があります。

だからこそ、タツキは傷ついた子どもたちに対して一切のプレッシャーを取り除き、自己の存在を無条件に肯定される安全な環境を提供しようとしているのです。

現実の不登校支援においても、この「ただ遊ぶ」「何もしないで過ごす」という一見して無駄に見える初期の時間は、極めて重要な意味を持っています。

おおた氏の著書『フリースクールという選択』でも言及されているように、学校で深く傷つき、自己否定の極致に達した子どもは、心のエネルギーが完全に枯渇しています。

子どもがエネルギーを再充電し、社会や他者への信頼を取り戻すためには、「ありのままの自分でいていい」という安心感が必要です。自分の正直な欲求に気づき、素直にそれを表現し、さらにそれをまわりから認めてもらうプロセスが、安心感をもたらすからです。

余計なプレッシャーがなく、信頼できる仲間とのびのび過ごしていると、子どもは徐々に安心と自信を取り戻し、次第に意欲がわいてくる。そのプロセスをあせってはいけないのでしょう。

意欲を取り戻せば、次のステップは子どもが自ら選んで歩み出すと、おおた氏の著書に登場するフリースクール関係者は口をそろえています。

フリースクールを継続しながら週に何回かだけ学校にも通うようになったり、安心できる居場所的なフリースクールから探究学習に力を入れるフリースクールに移行したり、塾にも通って高校進学を目指したり、進路はさまざまです。

多様化するフリースクールの羅針盤「5つの補助線」

フリースクールは、一様に行き場を失った子どもたちが集まる画一的な施設ではありません。

おおた氏の著書『フリースクールという選択』では、フリースクールの実態が、子どもの心の状態や目的に応じて選ばれるべき、多様なグラデーションを持つ組織であることが体系化されています。

書籍で提示されている「5つの補助線(判断基準)」は、多様なフリースクールのなかから、そのときどきのわが子にあった環境を見分けるための優れた羅針盤になります。

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