
「不登校から医学部進学」“ラップとフリースクール”でトンネルを脱して高校受験へ〔元野球少年の実話〕
不登校から小児精神科医を目指すまで 母親インタビュー第3回「ラップ大会と高校受験」/全6回 (2/4) 1ページ目に戻る
2026.08.01
教育ジャーナリスト:おおたとしまさ
おおたとしまささん(以下おおた):お母さんの夜遊びに付き合って、いろんな大人たちと話す機会ができてから、ラッパーになりたいと言い出した。かなり唐突な気がしますが。
倉孝子さん(以下孝子):なぜラッパーだったのか、当時はわからなかったんですけど、あとで聞いて初めて知りました。ヒップホップって、しいたげられたひとたちから生まれてますよね。
彼は、自分も完全にアウトサイダーだ、メインストリームではない、という意識があって、そこに共感したそうです。暴力ではなく言葉で訴えるというところも良かったみたいです。
ラッパーになると言って、家で練習したり歌ったりして、「大会に出る」と。私の中には「学校に行けてない子が、ラップの大会なんかに出ていいの?」というためらいがありました。でもそのとき、ある先輩のお母さんが「それもやる気だよね」と言ってくれたんです。
もともと遊びサークルで一緒だった方で、お子さんが小学校の頃から行き渋りがあって、中1で同じクラスだった。先輩不登校のママとして、いろいろ気遣ってくれていた人でした。「そっか、これもやる気か」と思って、大会への出場に、OKを出しました。
当日、すすきののとっても怪しいエリアにある雑居ビルまで送りました。後ろ姿を見て、「生きて帰ってこられるかな……」と不安になるほどでした。すすきのなんて、普段は行かないし、当時は何もわからないので、ただ怖い場所だな、と。
お迎えに行くと「1回戦敗退だった〜」と。でも、とっても清々しい顔でした。100人くらいの観客がいるなかで、ステージに立って歌ったそうです。
おおた:やってと言われても、私だったら遠慮したくなるような、ものすごく怖い場所に、自ら飛び込んでいく。それだけで、ものすごい勇気だと思うんです。
彼にとっては、ただ遊びに行きたいという話じゃなくて、自分を奮い立たせたうえでの「行かせてくれ」だったんだと思います。だからやり遂げて、敗退だったけれど清々しい。それは一つの、「やりきったぜ体験」ですよね。
孝子:そこから、何かが変わりました。圧が去った、というか。そろそろ進路を決めようかな、という気持ちになってきたんです。
“学校は行かなくても勉強は必要”と迷走した母
孝子:ちょっと時計の針を戻して白状します。いちばん落ち込んでいた時期に、私はいろいろ試しました。塾とか、通信教材とか。
「これ申し込んだから、とりあえずやってみて」という感じで、結構強引にやらせようとしましたけど、行かない、やらない。結局「ダメだったか」と解約する。ということを繰り返していました。
おかしいんですけど、「学校は行かなくていい」と思えるようになっても、「でも勉強はやらなきゃいけない」とは、まだ思っていたんですよね。しかも5教科の勉強。
それも難しいとなると、今度は「5教科は諦(あきら)めても、せめて探究学習をしようよ」と言って、いろいろ探してきたり。息子は何一つやりませんでした。今思えば、あれもこれも、私の独り相撲だったんですね。
おおた:面白いですよね。「学校は行かなくていい」とは思えても、「でも勉強はやらなきゃ」のほうは、まだ手放せていない。しかも、その5教科がダメだとなると、今度は「せめて探究を」と。よくあるパターンだと思います。
孝子:迷走しまくってました。そんななかで、夫の知り合いの北大(北海道大学)の男の子が、家庭教師に来てくれることになったんです。
勉強というよりは、話し相手みたいな感じで、月2回とか週1回とか。でも最初は全然やる気がなくて、家庭教師が来てもあまりやらないし、直前になって「やっぱり嫌だ」とドタキャンする。本当にすみません、と謝る日々でした。
だけど、ラップの大会が終わったあたりから、そのお兄さんとちゃんと勉強してみる、という感じになって。どんな参考書を使っていいかわからない、という話をしたら、一緒に本屋に行って参考書を選んでくれたり。そういうことが始まったんです。
その人とは今でもすごくいい関係で、就職した今も仲良くさせてもらっています。本当に、いい出会いでした。
































