本橋麻里「終わりのない子育てを楽しみ おばあちゃんになってもカーリングを続けたい」
ロコ・ソラーレ代表・本橋麻里さんインタビュー「スポーツと育児の相乗効果」4/4~カーリングと通した社会づくり編~
2021.07.01
女性アスリートの願い「母となっても輝ける場所を」
近年、世界のトップカーラー(カーリング選手)の中にもママ選手が増えてきました。平昌五輪で金メダルを獲得したスウェーデン代表のアンナ・ハッセルボリ選手や、同銀メダルで“メガネ先輩”の愛称でも知られる韓国代表のキム・ウンジョン選手らも五輪後に結婚、出産を迎えています。
両選手ともに現在はすでに競技に復帰。21年5月に行われた世界選手権ではトップレベルでのカムバックを果たしています。本橋さんは彼女たちママアスリートの存在に「刺激をもらっている」と歓迎します。
「ひと昔前までは結婚や出産を機に競技に区切りをつけてしまう選手も多かったですし、もちろんそれは選手個人の選択だから良い悪いではありませんが、母としても自分の目標や夢を追ってもいいし、あんなに輝けるものなんだといううれしい驚きがあります。今も私は自分の夢や目標を追っていますが、それは幸せでスペシャルな時間だということを改めて感じますし、細く長くでもいいから、そこに立ち続けたい。そう自然に思うようになりました」
日本でも近年、女性アスリートの支援プログラムが増えています。カーリングでは日本スポーツ振興センターのプログラムを利用して、日本選手権などの大会会場に授乳室を設置するなど、一歩ずつではありますが環境も改善されています。
元来、生涯を通して活動できる“ライフタイムスポーツ”の色合いの強いカーリングですが、そのイメージを強固にすることも本橋さんの今後の目標のひとつです。できることなら、50歳以上のシニアのカテゴリーでも競技を続けたいと最近、思うようになったそうです。
「高齢者向けの商品にスポンサーについてもらったり、やり方はいくらでもあると思うんです。たくさんの人と一緒にアイデアを出しながら、私に広いコミュニティを与え続けてくれるカーリングに、選手として女性として、母としても少しでも恩返しできたらうれしいです」
照れくさくもうれしかった初めての母の日
最後に本橋さんは2021年の母の日、はじめて5歳の長男から感謝のプレゼントをもらったエピソードを教えてくれました。
「広告チラシなどで作ったお花をもらいました。一応、カーネーションなんですかね? チューリップみたいな形でしたけれど。
おそらくまず保育園で保育士さんに、“母の日って何?”というところから教わって、友達とワイワイ作ったのかなとか、いろいろ想像がふくらみました。きっと保育士さんに『おうちに帰ったらお母さんに、いつもありがとうって言おうね』って送り出されてきたんでしょう。お迎えに言って顔を合わせたら速攻で『ママありがとう』って言われました。息子らしくて、照れくさくて笑ってしまいました」
そんな照れくささも含め、どんどん成長を続ける我が子に「ああ、まだ私って知らない感情あったんだ」と気づかされる毎日だと本橋さんは笑顔を見せます。
「特にこの春は、新品でまだダボダボの制服を着ている中学1年生とかを見かけると、楽しみと不安が混ざった感情が生まれました。
うちの息子くんたちは新しいコミュニティに入っていったらどうなるのかな。ぶつかることだってあるだろうけれどうまくやれるかな。個性が大爆発する思春期はうまく過ごせるかな。おそらく就学しても就職しても、環境が変わる度に私にも新しい感情が訪れるのかもしれません。
そういう意味では、子育てに終わりはないと言いますけれど、本当にそうだなあと思います。旦那さんと息子くんたちと共に成長しながら過ごしていけたら最高ですね」
本橋麻里
もとはしまり 1986年6月10日、北海道北見市常呂町生まれ。小学6年生のときにカーリングをはじめ、19歳で当時、トップチームだったチーム青森に加入。カーリング女子日本代表選手として、2006年トリノ五輪、2010年バンクーバー五輪を戦った。2010年に『ロコ・ソラーレ』を結成し、2016年世界選手権銀メダル獲得、2018年平昌五輪では銅メダル獲得と日本カーリング界の歴史を塗り替えてきた。現在は2児の母でありながら育成チーム「ロコ・ステラ」のメンバーとして活動中。著書に『0から1をつくる 地元で見つけた、世界での勝ち方』(講談社現代新書)がある。
ロコ・ソラーレHPはこちら https://locosolare.jp/
※本橋麻里さんインタビューは全4回です
【第3回】本橋麻里さん「育児とカーリング 劇的に改善した時間の使い方と決断力」
【第2回】本橋麻里さん「育児を育“事”と割りきるとラクになれた」
【第1回】本橋麻里さん「子どもに “調和”より“創造”を尊重」する理由
竹田 聡一郎
1979年生まれ。神奈川県出身。幼少の頃からサッカーに親しみベルマーレ平塚(現湘南)の下部組織でプレーする一方で、84年、広島市民球場でのプロ野球初観戦で高橋慶彦や山本浩二に魅せられ、カープファンに。 04年にフリーのスポーツライターになり、サッカーやカーリングを取材するフリをしつつカープも追う日々。
1979年生まれ。神奈川県出身。幼少の頃からサッカーに親しみベルマーレ平塚(現湘南)の下部組織でプレーする一方で、84年、広島市民球場でのプロ野球初観戦で高橋慶彦や山本浩二に魅せられ、カープファンに。 04年にフリーのスポーツライターになり、サッカーやカーリングを取材するフリをしつつカープも追う日々。