「うちの子どもは壁の外」障害児のママがキッズモデル事務所を開いたワケ

障害児キッズモデル事務所「華ひらく」代表 内木美樹さんインタビュー#1 ~起業のきっかけ~

障害児キッズモデル事務所「華ひらく」代表 :内木 美樹

窓ガラスに描ける筆記具「キットパス」の広告モデルに起用された障害児キッズモデルたち。  写真提供:日本理化学工業
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重い障害を持つ男児(8)を育てる母・内木美樹(うちき・みき)さん(39)は、2021年7月に障害児のキッズモデル事務所「華ひらく」を開業。

現在、0~10歳まで25人のモデルが所属していますが、応募が殺到し、一時募集を中止するほどの人気ぶりです。

「障害者と健常者の間にあるガラスの壁をなくしたい」と、誰もが堂々と生きられる社会の実現を目指す、母で社長の内木さん。モデル事業にたどり着くまでの道のりを伺いました。

※第1回(#2#3を読む)
記事の最後に、障害児キッズモデルたちがふるって参加した写真コンテストも紹介します。

障害児キッズモデル事務所「華ひらく」を起業した内木美樹さん。  Zoom取材にて

自然な表情であるがままに 障害児キッズモデル事業とは

飾らないありのままの表情で写真に映り込むのは、障害児のキッズモデルたち。2021年7月、内木美樹(うちき・みき)さん(39)は、自身が経営する会社「華ひらく」の新たな事業として、障害児キッズモデル事務所を始めました。

撮影時、カメラマンから「笑って」や「こっち向いてね」の声掛けは、一切ありません。「健常児に似せる」のではなく、ありのままで「違いを楽しむ」ことが、内木さんのこだわりです。

そうした取り組みが多くの人たちの共感を呼び、一時募集を中止せざるをえないほど応募が殺到。現在は募集を再開し、25人の子どもたちがモデル登録をしています。

つるつるしたところに描いて水で消せる「キットパス」(日本理化学工業)の広告モデルとして起用されるなど、活躍の場を広げています。

事業を始めたのは「ガラスの壁をなくすため」

ガラスの壁をなくしたい──。

この事業を始めた内木さんは、障害児を育てる母の1人です。長男、尊(たける)くん(8)には、自閉症と重度の知的障害があります。

子育てをする中で感じてきた、健常者と障害者の間にある見えない隔たり。それは「まるでガラスの壁のよう」と内木さんは感じてきました。

「保育園の中で、障害のある子は息子だけでしたが、園の先生方は本当によくしてくださいました。

でも、クラス参観へ行っても1人だけ違う行動をとっている。運動会のダンスではみんなと同じ場にはいるけれど、息子だけが違う動きをしている。発表会のお遊戯でも、当然ですが息子の登場シーンが少ない。お泊まり会は息子だけが行けない。

保育園のせいではないんです。息子がそこまでのレベルに達していない。ただそれだけなんです。でも、周りの子が当たり前にできていることがうちの子はできない。

そういう場面を繰り返し目の当たりにすると、まるでガラスの壁で隔たれているかのように、みんなはあっち側、うちはこっち側、と感じざるを得ない。

そういう意識が私の中にずっとありました。あっち側の人は、運動会も発表会も笑顔で見守れる。けれど、こっち側は笑顔ではいられない。

『大丈夫かな』『ほかの方々にご迷惑をおかけしないかな』とか、常に心配で。

こんなふうに言われたことはないのですが、『なに? あの子』『うちの子が障害のある子と同じクラスなんてイヤ』などと思われていないかという不安がありました。こういう小さな積み重ねが何年も何年も。

そこにはガラスの壁があって、『もう私はあっち側には行けないんだ。こっち側なんだ』と感じ続ける状況でした」(内木さん)

「なんでうちの子だけ?」周りと比べて押し寄せる心の波

尊くんの障害に気づいたのは、2歳になるころでした。

「尊くん、耳が聴こえていないかもしれません」

2歳の誕生日を目前にしたある日、保育園の先生から思いもよらぬことを言われました。すぐさま近くの耳鼻科で紹介状をもらい、大病院へ。しかし「聴力に問題なし」の結果でした。

今度は別の病院の紹介状をもらい、発達と障害の検査をすることに。さまざまな検査をし、結果を待つこと1年……。

「自閉症と、重度に近い中度の知的障害があります」

医師の口から出た言葉は、内木さんの想像を超える診断でした。

「発達障害はあるかもしれないと、ある程度は覚悟できていたんです。周囲の子とは明らかな違いがあったので。

発達障害だっただろうと言われる世界の天才っているじゃないですか。エジソンやアインシュタイン、スティーブン・スピルバーグらがそうですよね。

だから発達障害だとしても我が子だって天才になれるかもって前向きに考えるよう努めていました。ですが知的障害もあると診断されたので、そのときのショックは大きくて」と当時の心境を振り返ります。

それから特別支援学校に入学するまでの4年半、内木さんは“ガラスの壁”に苦しんだといいます。

「わたし、見栄っ張りな性格なんです。だから表向きは子どもの障害を受け入れていました。

周りからは“いつもにこにこしてるね”“すごいね”ってよく言われていたんです。でも実際には心の波があって。現状を目の当たりにすると沈んでいました。

なんでうちの子だけなの? なんで私ばっかり? って」

やるせない日々から抜け出すきっかけとなったのが、尊くんの入学式でした。

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